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2022.9.23

さざなみの記憶と滋賀の祈り : 前編
水と祈りの記憶を辿る Prayer of Shiga

さざなみの記憶が紡ぐ
滋賀の祈りを辿って

    

静かに打ち寄せては、消えてゆく波の音。
夕暮れには、穏やかな湖面がゆっくりと夕日に染まり、
その美しさを讃えるかのように、鳥たちが羽ばたきながら彼方へと消えてゆく。
ここ滋賀の地は、一面に広がる湖と周囲を取り囲む美しい山々によって、
古の時代から数々の物語が紡がれて来た。
そんなこの地に息づく様々な物語に耳を澄ましてゆくと、
ある途方もない祈りの言葉に辿り着いた。

それは、無数の人々の想いと悠久の自然によって、時を越え紡がれて来た、
決して古びることのない祈り。
そして、その祈りの中は、私たちが失いつつある大切な記憶が流れていた。
そんな祈りの言葉を紐解きながら、この地に宿る物語を紡いでゆきたい。

  • 前編 :
    水と祈りの記憶を辿る

Profile :

滋賀県

一面に広がる湖・琵琶湖と周囲を取り囲む山々によって、詩情豊かな美しい風景が紡がれる土地・滋賀。
その歴史は古く、遡ること約1万年前には、この地で暮らす人々の足跡が残されている。かつては「近江国(おうみこく)」として呼ばれ、その呼称の起源は、奈良時代(710-740)に遡る。
奈良の都に近い淡水の湖として、当時の琵琶湖の呼称として用いられていた「近つ淡海(ちかつあわうみ)」が転じて、「近江国(おうみこく)」として呼ばれていた。その後、江戸から明治への時代の移り変わりの中で、廃藩置県、廃仏毀釈などの様々な行政制度の改革に伴い、大津県を経て、明治9年(1876年)に、現在の呼称である滋賀県と定められる。

水の記憶を辿る

山々から湧き出る水がいくつもの川となり、山間を美しい弧を描きながら、やがて琵琶湖へと注がれてゆく。
琵琶湖は、古の時代から、この地の生命をつかさどる恵みの湖として、悠久の時を刻み続けて来た。
そんなこの地に息づく途方もない祈りの言葉。
その言葉を辿ってゆくために、まずはこの琵琶湖に流れる水の記憶に耳を澄ましながら、この地のはじまりの記憶を辿ってゆきたい。

今から遡ること400万年程前、琵琶湖は誕生したと言われている。
その時代は、旧石器時代。当時人々は、石器を用い、狩猟、採集をしながら暮らしていた。
その後、20〜30万年前の大きな地殻変動をきっかけに、現在とほぼ同じ大きさとなる湖が誕生する。
それから幾重もの時を経て、琵琶湖周辺に人々が暮らし始めたのは、今から約1万年前のこと。
まるで海のような広がりを持つこの湖は、その広がりを遥かに凌ぐほどの長い時の流れをその内に秘めているのだ。

そして、さらに時が流れ、今から約1500年前の5世紀後半頃には、
朝鮮半島から海を越え、数々の渡来人がこの地に定住するようになったと言われている。古の時代、滋賀の地は、大陸で育まれた高度な文明を持つ朝鮮半島と日本をつなぐ回廊の役割をしていた。

今では想像が出来ないかもしれないが、かつて日本海側の文化は、日本文化の中心的な役割を果たしていたのだ。
出雲大社で有名な、島根の地にかつて存在した強大な地域国家・出雲王朝は、その事実を象徴している。

そして、日本海側からもたらされた様々な技術や文化を近畿地方へと届けてゆくためには、琵琶湖の湖岸を船で結び、繋いでゆく道程が最も効率的だったのだ。
そんな回廊の役割を果たしていたこの地には、多数の渡来人が住むことになり、当時の最先端の技術や情報、文化が集まる場所となったのだ。

琵琶湖の水の恵みは、遥か海の彼方から届けられた様々な文化をこの地に育んでいったのであった。
そうして海を越え、この地で育まれた文化こそが、この地に宿る大いなる祈りの土壌となってゆくのである。

はじまりの一歩

今から遡ること約1300年程前のこと。
遥か海を越え、異国の人々がこの地に住み始め、250年の時が経ったある年のことであった。
近江国滋賀郡の古市郷という村に一人のこどもが生を受ける。
名は、広野(ひろの)と名付けられた。
父は、中国からの渡来人の末裔だったと伝えられている。
その村は、現在の大津市にある近江神宮の近くに位置し、
霊山として古の時代から祀られていた比叡山の麓の村であった。

広野は、幼い頃からずば抜けた聡明さを発揮したという。
彼に流れる渡来人としての血がその聡明さを育む素地となったのかもしれない。

この時代、一定以上の階級でなければ、正規の機関で教育を受けられなかったのだが、彼は12歳の時に特別な選抜試験を見事に通過し、寺院が運営する国分寺で勉学の道を歩み始める。
そして、その2年後には、学問よりも求道に徹することを決意するのであった。
わずか14歳にして、出家の道を自ら選び取ったのである。

出家に際し、彼に与えられた法名は、最澄。
そうそれは、後に比叡山の地に天台宗を開き、その開祖として一千年の時を越え、今なお語り継がれる伝教大師・最澄、その人であったのだ。
そのはじまりとなる一歩をこの時、踏み出したのであった。

一人の青年の歩み

最澄は、出家への決意を胸に、外の世界に目をやることもなく、
一心に求道の道を歩み続けていた。だがそんな彼の志とは裏腹に、国内の情勢は大きく揺れ動きつつあった。

時代は、奈良時代(710〜794年)。
奈良・平城京を中心に、中国の王朝・唐からもたらされた多様な文化がきっかけとなり、天平文化という煌びやかな文化が花開いた時代であった。

しかし、そんな華やかさの影では、政治においては権力争いが絶えず、さらに民衆の間では、天然痘の流行や飢饉が起こり、150万人近い人々が命を落としていた。
まさに光と影が交錯していた時代でもあったのだ。

そんな不安定な国内情勢を立て直すため、当時の天皇・聖武天皇は、様々な災いを鎮めるため、鎮護国家の名の下に仏教を国の中心に据える。

そのことが東大寺の大仏をはじめとする、現在に受け継がれるような多様な仏教文化を発展させてゆくのだが、同時に政治と仏教の間に並々ならぬ関係が生まれてしまう。なんと政治に深入りする僧侶までをも生んでしまったのだ。

人々を救うという本来の目的から大きく離れ、権力を追い求める手段として仏教が利用されつつあったのだ。
それは求道の道を歩む、最澄の耳にも届いていた。
その事実はまた、彼の内に既成の国内仏教への深い疑問を募らせることになる。
だが最澄はその疑問を胸に秘めたまま、変わらず学びを重ねた。

そして、若干19歳にして東大寺の戒壇院において具足戒を授かる。
なんと若くして国家公認の僧侶として認定されたのである。

当時その認定を授与されるのは、一年に僅か十人前後。
まさにエリートの中のエリートとも言える歩み。将来の栄光は約束されたも同然であった。
そして、最澄は、その正式な認定通知を受け取ると、生まれ故郷、古市郷に帰郷する。

それまで誰にも明かすことなく胸に秘め続けていた、ある想いを父に伝えるために。

かすかな光を求めて

「世間を離れ、比叡山に入り、さらに山林修行に打ち込みたい。」

これが最澄が父に伝えた想いであった。
約束された未来をすべて打ち棄て、どうなるかも分からぬ、世捨て人同然の生活をしたいと伝えたのだ。
ただ確かだったのは、自らの内に静かに秘めた信念のみ。

当時の仏教は、政治との癒着によって腐敗しつつあっただけでなく、小乗の傾向が強かった。
小乗とは、修行を重ね、自分自身を救うという自利の精神を重視した教え。
しかし、最澄は求道の日々の中で、誰にも見向きもされず、東大寺の書庫に埋もれていた様々な書籍を紐解くうちに大乗の教えに出会っていた。

大乗とは、修行を通して、自己救済だけでなく、あらゆる人々を救うという利他の精神を大切にした教えである。
それは当時の既存仏教の教えと対極とも言えるものであり、異端であった。
そのため、その時の日本には師として仰ぐべき人物は一人もいなかったのである。

そうした状況の中、自らの信仰を深めてゆくために残されていたのは、
たった一人、孤独の中で自らに向き合い、その教えを深めてゆくという、あまりに厳しい道のりだったのだ。

だが最澄は、これまでのすべてを投げ打ち、自らの信念のみを頼りに、その道を歩む決断をしたのである。
その言葉を耳にした時、当初は反対をした父だったが、最澄の意志の固さを知り、最後はその決断を受け入れる。

そして、最澄は、暗闇の中のあるとも知れぬ、かすかな光を掴むため、たった一人比叡山に入山するのである。
最澄は、その時の決意を言葉として残している。

「自ら修行を重ねた末、もし幸いにして悟りを開くことができたなら、それを決して独り占めにせず、この世のあらゆる人々に施して、ともに無上にわかちあいたい。」

この言葉は、入山に際し最澄が綴った願文の中に残されていた言葉である。
まさにそれは、最澄の信念そのものであった。
そうした信念を胸に、自らの生涯をかけての長い歩みが始まってゆくのである。

そして、その歩みこそがこの地に息づく、途方もない祈りへと繋がってゆくのである。

(中編へ続く)

  • 前編 :
    水と祈りの記憶を辿る

Reference :

  • 「図説・滋賀県の歴史」
    編集:
    木村 至宏
    出版:
    河出書房新社
  • 「琵琶湖 - その呼称の由来」
    著者:
    木村 至宏
    出版:
    サンライズ出版
  • 「京滋びわ湖山河物語」
    著者:
    沢 潔
    出版:
    文理閣
  • 「近江古代史への招待」
    著者:
    松浦 俊和
    出版:
    京都新聞出版センター
  • 「人類哲学序説」
    著者:
    梅原 猛
    出版:
    岩波新書
  • 「最澄 - 京都・宗祖の旅」
    著者:
    百瀬 明治
    出版:
    淡交社
  • 「滋賀県の百年」
    著者:
    傳田 功
    出版:
    山川出版社
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