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東雲の光

The East Dawn

今回は、ある旅の記憶を振り返りながら、その旅の中で気付かされた、ある「歴史」についての想いと、その旅を踏まえての今後のHAS Magazineの展望を皆様にお伝えいたします。

昨年末から今日に至る約一年ほどの時間をかけて、時に幾度かの寄り道もしながら、関西の五つの土地の物語を辿ってゆきました。
それは、奈良・滋賀・大阪・兵庫・京都のそれぞれの土地に宿る物語を紐解く旅でした。

この旅のきっかけは、あるひとつの想い。
多くの人々の心を灯す物語を紡ぐには、どうすれば良いのだろうと想いを巡らせていた時、まずは自らの足元にある物語を深く理解することが大切なのかもしれないと考えました。

歴史を紐解き、様々な人々が辿って来た物語を見つめることで、その中に時代や環境を越えた、何か普遍的な光のようなものを見つけられるかもしれないと。

日本人である私たちにとっての足元の物語とは、日本のルーツを紐解く物語。
それは、日本のはじまりの記憶を辿る旅でもありました。
そして、多くのはじまりの記憶を宿しているとも言える、関西の五つの土地の物語を紐解く旅を始めました。

当初は三ヶ月ほどで終わらせるはずの旅でした。
ですが、いざ取り掛かってみると、それぞれの土地に秘められた歴史の深さ、自らの知識のなさに打ちひしがれるばかり。
どれほど調べても汲み尽くせない、膨大に広がる物語の海に圧倒される日々でもありました。

しかし、そんな目の前に茫漠として広がる物語の海を眺めながら、気付かされたあるひとつのことがありました。
それは、「歴史」を学ぶ本当の意味について。

「歴史」について、私たちが会話を交わす時、よく上げられるひとつの疑問があります。
それは「なぜ私たちは歴史を学ぶのか。」という疑問。

並び立てられる年号。覚えにくい人物名。
歴史の転換期には、いつも大きな争いが繰り返される。
歴史を知ると、争いの絶えない悲しい人間の歴史をまざまざと見せつけられているような気さえします。

きっと多くの人にとって「歴史」とは、どこか小難しく、近寄り難い印象を持つものではないでしょうか。
かくいう私もどこかにそんな気持ちを抱く一人でした。

そして、そんなただでさえ近寄り難い存在なのに、普段の暮らしを送る上で「歴史」を知らずとも何ら問題なく過ごせてしまう。
だからこそ、多くの人は「なぜ歴史を学ぶのか。」という疑問を抱くのだと思います。

そんな疑問への答えとして、良く語られるのが「過去を学ぶことは、現在や未来を考える知恵となる。」というものがあります。
その答えは、本当にその通りなのだと思います。

繰り返されて来た人々の営みを知ることで、どうすれば失敗を未然に防ぐことが出来るのか、過ちを二度と繰り返さないようにするかということを学ぶことが出来る。

「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ。」

というドイツの政治家ビスマルクが残した、あまりに有名な名言は、その答えと共に良く引き合いに出されます。

確かに正しい、ある一面ではその通りの答えなのだと思います。
ですが、この答えでは、やはり「歴史」は、「限られた人にとってのみ学ぶ価値のあるもの」というイメージは拭い去ることが出来ないようにも感じます。

しかし、今回の旅を通して「歴史」とは、そんなどこか高尚で手の届かないものではなく、もっと私たちの暮らしに身近で、もっと温もりのある存在なのではないかと思いました。
「歴史」を学ぶことは、私たちの暮らしや心を豊かにすることに繋がると。

茫漠と広がる歴史を眺めていると、そこには無数の人々の営みが流れていることに気付かされます。
そして、そのひとつひとつの営みに目を凝らしてゆくと、様々な人々の物語が生き生きと蘇ってきます。

そこには、様々な喜びや発見だけでなく、様々な人々の苦しみや争いの記憶も同時に流れています。
なぜ人は、こんなことが出来たのかという目を背けたくなるような現実さえも残されています。

ですが、どんなに時代が暗かろうが、血で血を洗うような凄まじい戦乱の時代であろうが、そこには必ずある人々の物語が流れているのです。

それは、どんな時代であったとしても、決して希望の光を見失うことなく歩み続けた人々が必ずいるという事実です。
純粋なまなざしで世界を見つめ、どんなに世界が暗闇に包まれようとも、その中から微かな光を見出そうと歩み続ける人々が絶対にいるのです。

彼らは、希望を語り、夢を描き、時にそのあまりの純粋さから世間から嘲笑されることもあります。
しかし、彼らは決して歩みを止めることはありません。

そして、笑われ続けた彼らは、最期には多くの人々の灯となり、暗闇に包まれた世界に新たな光を灯すのです。

絶え間なく繰り返される争いが流れる人類の歴史は、人間の愚かさを象徴するものだと語られることがあります。
ですが、その「歴史」を別の角度から見つめると、どんな争いにも屈することなく希望の光を絶えることなく現代にまで繋ぎ続けて来た、人々の「光の物語」とも言えるような気がするのです。

今私たちがこうして生きているのは、人間がたとえどんなに愚かだったとしても、決して希望の光を見失うことがなかったからなのだと思います。
それは、人が人を想う、本当の意味で人を愛した人々の「愛の物語」が流れているとも言えるかもしれません。

だからこそ思うのです。
「歴史」を学ぶとは、本当の愛を知るということではないのだろうかと。
数限りない人々が紡いで来た、無数の愛の物語を知るということ。

「歴史」を通して多様な愛の形を知ることが自らの心の器を広げ、自分にしかない新たな愛の形を見つける力となってゆくと。

自らを大切にすること、仲間を大切にすること、家族を大切にすること、夢を大切にすること、いつもの暮らしを少し丁寧にすること、その愛の形はどんなものであっても良いのだと思います。

そんな風にして、「歴史」は様々な愛の物語を通して一人一人の心を灯し、それぞれの暮らしを豊かにするきっかけを届けてくれるような気がします。

きっと「歴史」との大切な向き合い方は、頭を通して知識を繋いでゆくのではなく、自らの心を通して向き合うこと。
大切な仲間や家族を見つめるように、優しいまなざしで見つめることなのだと。
そうすることで、きっと「歴史」は、知られざる愛の物語を私たちにそっと教えてくれるのだと思います。

関西の様々な土地の記憶を辿る旅。
その旅を通して、そんなひとつの「歴史」への気付きに辿り着きました。
この記事のタイトル「東雲」とは、夜明けに朝の光で茜色に染まる空のことを表す、古い日本の言葉です。

日本の夜明けとも言える物語が宿る、関西の様々な土地。
それぞれの土地の物語を紐解いてゆくと、そこには確かに様々な人々が紡いだ愛の物語が流れていました。

それぞれの物語は、時空を越え、私たちの人生の旅路を灯してくれます。
それはまるで夜明けとともに夜空を茜色に染める、東雲の光のように。

この旅を通して見出した、そんな光と愛の物語を大切にしながら、これからまた新たな旅へと出掛けてゆきます。
土地の記憶を辿る旅から、様々な人々の出会いと物語を紡ぐ旅へと。

これまでの物語は、これから雑誌を始めてゆくための序章となる物語として。
これからは雑誌をかたちにし、皆様のもとへ届けてゆくための新たな旅となります。

お読み頂いている皆様と一緒に旅を重ねてゆく。
そんな想いでこれからも旅を重ねてゆきたいと思います。
長くなってしまいましたが、最後までお読み頂き、ありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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    HAS / Hiroaki Watanabe
    HAS ディレクター / デザイナー。 神戸市出身 京都在住。
    立命館大学産業社会学部在学中に、インディペンデントの音楽イベントの企画・運営に携わる。
    卒業後は環境音楽の制作を開始。その後、独学でウェブ・グラフィックデザインを学び、2019年にHAS創業。
    暮らしを灯す物語をテーマに、デザイン、言葉、写真、音楽を重ね合わせながら制作を行う。

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