
暮らしを灯す詩をテーマに様々な詩をお届けする「暮らしに寄り添う詩」。
今回ご紹介するのは、「夜の雲」という詩。
この詩は、今年初めにお届けした、神戸・北野の物語を辿ってゆく「神戸・北野の幾つもの夢を追って」の資料を集めている時に偶然出会いました。
この詩には、ふとした帰り道に誰もが出会う、何気ない風景が詩情豊かに美しく、静かに描かれていました。
美しい一編の短い映像を眺めるように、お読み頂けますと幸いです。
「夜の雲」 夜の雲はしづかに頭上にあった 美しい月光に照り映えて 紗のごとく白くながれ 明滅する星かげをかくして 或いは水泡のやうにうきたって 天体のもの凄い美を示していた 地上の詩人はそば屋から帰りに この異様の雲の美しさに しばし見惚れて佇んだのである 夜はすでに更けて人影とてなかった 私があの雲の一片を持って帰ったとて 誰れ咎めるものがあたりあろう けれども私の部屋は あの白雲を飾るほど立派でなかった 私は地上の詩人のつつましい慣いとして 雲の幻を心懐に入れて帰ったのだ
この詩は、広瀬 操吉という詩人によって紡がれました。
彼の足跡は、生前に作られた幾つかの本の中に残されています。
しかし、それらの本の多くは古書となり、彼方へと消え、散り散りにそれぞれの場所で静かに時を刻み続けています。
そのため彼の生涯の多くは、謎に包まれています。
そんな数少ない記録の中で、彼は詩人となる前、画家を志し、絵を学んでいたと伝えられています。
さりげない風景の美しさを見事にすくい上げ、数少ない言葉を通し、記憶の中の情景を描き出した彼の詩。
言葉と絵。
どこか遠い存在である二つの表現は、多くの場合において、言葉に出来ないものを絵で表すと語られます。
しかし、彼の場合は、言葉の中に美しい絵が、美しい映像が確かに表現されているのです。
そんな彼の心の奥底には、絵画を通し磨かれた感性が流れているのかもしれません。
ひとつの道を深めてゆくことの素晴らしさは言うまでもありません。
ですが、彼のように異なる経歴を辿り、時に寄り道とも、道草とも言われる歩みを重ねることもまた表現や人生に深みを与える価値のあるものなのだと思います。
彼が紡いだ詩は、心に残る何気ない美しい情景と共に、道草の中にある価値を私たちに教えてくれるのかもしれません。
広瀬 操吉
1895年10月3日〜1968年12月17日没。兵庫県印南郡生まれ。姫路師範学校卒業。画家を志し、関西芸術院に入り、その後上京、本郷洋画家研究所で学んだ。千家元麿主宰の「詩」(大正9年2月創刊)の同人となり、その後継の詩雑誌「詩の泉」(大正10年4月)の編集に携わる。
- text / photo HAS
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text / photo :HASは、多様な美しい物語を紡いでゆくことで「物語のある暮らしを提案する」ライフストーリーブランド。ライフストーリーマガジン「HAS Magazine」のプロデュース、デザインスタジオ「HAS Couture」を手掛ける。