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Home/ Story/ / さざなみの記憶と滋賀の祈り・中編

さざなみの記憶と滋賀の祈り

Prayer of Shiga
中編

静かに打ち寄せては、消えてゆく波の音。
夕暮れには、穏やかな湖面がゆっくりと夕日に染まり、
その美しさを讃えるかのように、
鳥たちが羽ばたきながら彼方へと消えてゆく。

ここ滋賀の地は、一面に広がる湖と周囲を取り囲む美しい山々によって、古の時代から数々の物語が紡がれて来た。
そんなこの地に息づく様々な物語に耳を澄ましてゆくと、
ある途方もない祈りの言葉に辿り着いた。

それは、無数の人々の想いと悠久の自然によって、時を越え紡がれて来た、決して古びることのない祈り。
そして、その祈りの中は、私たちが失いつつある大切な記憶が流れていた。
そんな祈りの言葉を紐解きながら、この地に宿る物語を紡いでゆきたい。

滋賀県
Shiga Prefecture

一面に広がる湖・琵琶湖と周囲を取り囲む山々によって、詩情豊かな美しい風景が紡がれる土地・滋賀。
その歴史は古く、遡ること約1万年前には、この地で暮らす人々の足跡が残されている。
かつては「近江国(おうみこく)」として呼ばれ、その呼称の起源は、奈良時代(710-740)に遡る。
奈良の都に近い淡水の湖として、当時の琵琶湖の呼称として用いられていた「近つ淡海(ちかつあわうみ)」が転じて、「近江国(おうみこく)」として呼ばれていた。
その後、江戸から明治への時代の移り変わりの中で、廃藩置県、廃仏毀釈などの様々な行政制度の改革に伴い、大津県を経て、明治9年(1876年)に、現在の呼称である滋賀県と定められる。

中編
遥かなる祈りへの旅路
Journey to Prayer

映し出された真理

最澄が願文を残してから12年もの月日が経とうとしていた。
その間、自ら掲げた信念を決して曲げることなく、比叡山に身を投じ、ただひたすらに仏法の学びを深めていった。
比叡山には、「論湿寒貧(ろんしつかんぴん)」という言葉がある。
夏は、琵琶湖からの水蒸気のため湿気がひどく、冬の寒さもまた厳しい。
そんな比叡山の自然環境の厳しさを表現したものだ。

しかし、その厳しい環境が最澄自身の内省を深め、その内に眠る霊性を磨いていった。
心の奥底に映る湖面は澄み渡り、鏡のような美しさを湛えていたのだろう。
そして、その澄み切った心で、最澄がすくい上げたのは、ある経典に綴られていた二つの言葉であった。

一つは「法華経」という経典に綴られていた「法華一乗(ほっけいちじょう)」の言葉。
もうひとつは「涅槃経」という経典に綴られていた「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」の言葉。

「法華一乗」とは、人々を乗せて悟りの境地へ運ぶ乗り物を表し、
あらゆる人々はその乗り物に乗り、救われ、仏になれると綴られていた。
それはつまり、この世のすべての人々は必ず救われるのだと。

そして、もうひとつの言葉「一切衆生悉有仏性」では、その「法華一乗」の教えをさらに広げてゆくように、人間だけではなく、生きとし生けるもの全てが「仏性」を持っていると綴られていたのだ。
それはすなわち、あらゆる生命が仏になれる資質を持っているのだと。

自らの心と響き合わせすくい上げた、それぞれの言葉の中には、時を越え紡がれて来た、壮大な生命へのまなざしと真理が流れていたのだ。

そして最澄は、その「法華経」の中にこそ、自らが追い求める大乗仏教の真髄があると見極める。
その法華経に基づき、中国で立宗された「天台宗」を自らが広めてゆくべき教えであると。

気の遠くなるほどの長い時間をかけ、たった一人歩み続けた暗闇の中に、ついに一条の光が差し込んだのであった。
その光をすくい上げた最澄は、まばゆいばかりの輝きを胸に、新たな歩みへと踏み出してゆくのである。

運命の巡り合わせ

そんな最澄の歩みと呼応するように、社会の様相もまた大きく変わりつつあった。
当時の天皇・桓武天皇の意思により、奈良・平城京から長岡京への遷都を経て、都が京都・平安京へと移されようとしていたのだ。

その背景には、政治と既存仏教の癒着によって生まれた、僧侶から政治への干渉を避け、新たな国作りをしてゆく強い意志が込められていた。
また桓武天皇自身、仏教への信仰を深く持っていたのだが、最澄と同様、既存仏教に対する疑問は強く、新たな都を作ってゆく上で礎となる新たな仏の教えを模索していた。

そんな様々な想いや時代の流れが交錯する中で、桓武天皇は、平安京の北東に位置する比叡山で山林修行を行い、新たな教えを見出しつつあった最澄と運命的な出会いを果たす。
目の前に突如として現れた青年僧は、自らの長年の疑問を晴らす、まばゆいばかりの輝きに満ちていたのだった。

桓武天皇にとってもまた、その出会いは暗闇の中に射し込む一条の光のようであったに違いない。
そして、二人は国政と仏教の望ましい在り方を確立するべく、共に歩み始めることになる。

運命とは不思議なものである。
すべてを投げ捨て、あるとも知れぬ未来を掴むため、暗闇の中に自らの信念を頼りに歩んだ道の先に、最澄自身も想像だにしなかっであろう巡り合わせが訪れたのだ。

その出会いをきっかけに、最澄の運命も大きく変わってゆく。
様々な大きな仏事を取り仕切るようになる他、自らの教えを講じる機会にも恵まれ、最澄の名声は一気に広がっていったのだった。

新たな真理との出会い

確固たる名声を手にした最澄は、天台宗の正統な教えをさらに深めるべく、天台宗発祥の地、唐・天台山に遣唐使として渡り、学びを深める機会を得る。
しかし、現地を訪れてみると唐での仏教の主流は、最澄の志す天台宗ではなく、密教に移り変わりつつあったのだ。

密教とは、天台宗と同様に、大乗仏教のひとつ。
その特徴は、従来の仏教とは異なり、行を何より重んじ、「即身成仏」の教えを説いていた。
それまでの仏教は、悟りを開き仏になるには、何度も輪廻転生を繰り返し、修行を重ねる必要があると説いていた。
だが密教が説いた「即身成仏」では、大乗仏教の教えさらに発展させ、今生きているその身そのままで、全ての人は仏になれると説いたのだ。

さらに、その教えの核にあったのは「大日如来」という仏の存在。
その存在は、宇宙の真理そのものを表すとされ、仏教の開祖・釈迦も、その真理の顕れであり、「大日如来」こそが万物の根源であると説いたのである。

従来の仏教が教えの源泉としたのは、釈迦の残した言葉を紡いだ様々な経典であった。
それに対し、密教が源泉としたのは、その「大日如来」であったのだ。
それは地球という星を超え、宇宙全体までをも飲み込む、壮大な物語を紡いでいたのだ。

その物語は、あらゆる人々を救いたいと願う、最澄の想いともまた強く響き合あったのだろう。
実際に、現地で様々な密教僧のもとを訪ね、学ぶ機会を設けたという。

だが本来の目的は天台宗の学びを深めること。あくまでその合間での学びとならざるを得なかった。
帰国までの時間も多くは残されておらず、密教への学びの途上で、どこか後ろ髪を引かれる思いで帰国の途につくことになったのであった。

残された想い

最澄が帰国すると、日本でも密教がもてはやされつつあった。
そして、そんな時代の流れと共鳴するように、同じ時期に唐に渡り、密教を修めていた空海が帰国する。
その後、最澄は、密教の学びを深めるため、7歳年下の空海に対し、弟子最澄と自ら頭を下げるほど謙虚な想いで教えを請うのだが、最終的には二人の考え方の違いがきっかけとなり、絶縁状態になってしまう。

最澄は、経典を紐解き、学究を通して密教を学びたいという想いが強かった。
それに対し、空海が何より大切にしていたのは、自らの体験、すなわち行を通して教えを身に付けるということ。
そんなお互い意識の溝は開くばかりで、決して埋まることはなかったのだ。

しかし、それ以降も最澄は自らの教えを確立するべく、東奔西走する。
時に自らの教えの正当性を証明するべく、既存の仏教勢力との論争に巻き込まれながらも。
まさにその後半生は、既存仏教との戦いの日々であった。

若き日の比叡山での厳しい修行の日々。
そして、後半生での仏教の教えを巡っての戦いの日々。
その厳しさは、静かに、しかし確実に自らの体を蝕んでいったのであろう。

それから幾度もの季節が巡り、春のあたたかな陽射しが差し込む、4月のある日のことであった。
自らの死期を悟った最澄は、弟子たちを集め、こう告げる。

「私の命はもう永くない。しかし何度でも生まれ変り、その度に仏の教えを学び、多くの人々のもとにその教えて届けようと思う。私と同じ想いのものは、仏の教えを守り、修行し、その時を待っていてほしい。」

それはまさに、生涯を仏の道に生きた最澄だからこそ紡ぐことの出来た言葉であった。

そして、そのわずか2ヶ月後。
新緑の青葉が夏の香りを運び始める、6月のある朝のこと。
美しい新緑から零れる朝の光に包まれるように、最澄は静かにその生涯を閉じたのであった。
その生涯は、54年という年月を自らの信念のもとに、ただひたむきに歩み続けた人生であった。

そして、その死が告げられると、当時の天皇・嵯峨天皇は、最澄の死を深く惜しみ、生前の最澄の悲願であった、天台宗独自の戒壇院の設立を認定する。
それは当時の既存仏教が独占していた、正式な僧侶を認定する権利を天台宗にも与えることであった。

この時ついに自立したひとつの宗派として、その一歩を歩み始めることになったのである。
しかし、ただひとつ最澄がその後半生で追い求め、決して果たすことが出来なかった、天台宗に密教の教えを取り入れてゆくという想いを残して。

だがその果たされなかった想いは、彼の意志を継ぐ、様々な僧たちによって受け継がれてゆく。
そして、その受け継がれた意志こそがこの地に息づく途方もない祈りを育んでゆくことになるのである。
後編「途方もない祈りの言葉」へ続く

Reference :

  • 「図説・滋賀県の歴史」
    編集:
    木村 至宏
    出版:
    河出書房新社
  • 「琵琶湖 - その呼称の由来」
    著者:
    木村 至宏
    出版:
    サンライズ出版
  • 「京滋びわ湖山河物語」
    著者:
    沢 潔
    出版:
    文理閣
  • 「近江古代史への招待」
    著者:
    松浦 俊和
    出版:
    京都新聞出版センター
  • 「人類哲学序説」
    著者:
    梅原 猛
    出版:
    岩波新書
  • 「最澄 - 京都・宗祖の旅」
    著者:
    百瀬 明治
    出版:
    淡交社
  • 「鎌倉仏教」
    著者:
    平岡 聡
    出版:
    角川選書
  • 「滋賀県の百年」
    著者:
    傳田 功
    出版:
    山川出版社
  • 「老子」
    翻訳:
    小川 環樹
    出版:
    中央公論新社
  • 「人間の土地」
    著者:
    サン=テグジュペリ
    翻訳:
    堀口 大學
    出版:
    新潮文庫
Category :
  • text / photo :
    HAS
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