悠久の時を紡ぐ
京都・宮川神社の縁を辿って
京都・宮川神社の縁を辿って
Shrine

Shrine
京の奥座敷とも称される、京都・亀岡市。
亀岡市へは、京都市内から電車で一本。
わずか30分ほどの列車の旅で辿り着く。
列車に揺られ、いくつものトンネルを抜けると車窓からの景色は一変する。
目の前に広がるのは、周囲を取り囲む山々と田園風景。
京都市内の喧騒を忘れさせるような自然豊かな風景と穏やかな時間が流れ始める。
そんな風景を横目に眺めながら、さらにバスに揺られること数十分。
周囲を田畑に囲まれた小さな田舎町、宮前町にたどり着く。
その宮前町の町外れには、山の麓の森に抱かれながら古の時を静かに刻み続ける、ある神社がある。
その神社の名前は、宮川神社。
木々の間から降り注ぐ木漏れ日と小川のせせらぎに包まれたこの場所は、まるで時の流れからこぼれ落ちてしまったかのような不思議な空気に包まれていた。
そんなこの場所に流れる物語に耳を澄ましてゆくと、あるひとつの縁にたどり着いたのであった。
それは、ある聖なる場所へと繋がってゆく、深い縁(えにし)。
そんな宮川神社の物語を紐解きながら、この場所で紡がれて来た悠久の縁を辿ってゆきたい。
- text / photo HAS
a Clan
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古の縁を辿る旅へ
宮川神社が紡いだ古の縁。
そして、その縁にまつわる宮前町に残された物語と失われた書物に綴られた物語の記憶。
まずは、この地に残された物語を紐解くことから、その縁を辿る旅を始めてゆく。
宮前町に残された物語の中で、とある一族について語られている。
それは、宮川神社で祀られる母神「伊賀古夜姫命」の出自とともに伝えられたものである。

その一族とは、出雲族。
はるか昔、現在の山陰地方に存在したと言われる古代出雲の文化を起源に持つとされる一族である。
その一族と同じ名を持つ出雲大社は、現代の私たちにとっても馴染み深い神社ではないだろうか。
旧暦10月の異称である「神無月」には、全国の神々が出雲に集まると言われる。
そんな出雲大社に祀られる神様は「大国主大神」。
「大国主大神」は、はるか遠い古の時代に、日本という国をつくったと伝えられる神である。
その後、「大国主大神」は、現在の皇室の祖神と伝えられる「天照大御神」に国を譲ったことが「古事記」と「日本書紀」に記されている。

雲出づる一族の記憶
それぞれの書物の中で国譲りは、平和的に行われたと記されている。
だが諸説あり、あくまでそれは神話の上の物語であり、実際は当時の勢力争いの末に果たされたとする言説も語られ、現代においてもその真相は明らかにはなっていない。
歴史の真実は、時の彼方に隠されてしまっているのだ。
だがそうした真相はともあれ、国譲りが行われた際に「天照大御神」は「大国主大神」に対し、次のような言葉をかけたと伝えられている。
「これからは、この世の目に見える世界の政治は私の子孫が当たることとします。あなたは目に見えない世界をつかさどり、むすびの御霊力によって人々の幸福を導いてください。」

この言葉が出雲大社という場所をあらゆる縁を結んでゆく、「縁結びの聖地」として語り継がれてゆく由縁となったのだ。
「伊賀古夜姫命」は、そんな古の大いなる物語と深い関わりを持つ、出雲族の長の娘であったと語られているのである。
しかし、ひとつ疑問に感じることがあるのではないだろうか。
出雲大社は、山陰・島根県にある神社。
その神社と繋がりの深い出雲族がなぜ現在の京都・亀岡市近辺に暮らしていたのかと。
現代の私たちから見ると山陰と丹波の地の地理的な距離の遠さから考えても、それぞれの間に何の関係もないように感じられてしまう。
- text / photo HAS
Reference :
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「宮前町のしおり(2019年作成)」
- 発行:
- 宮前町自治会
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「丹波物語」
- 出版:
- 国書刊行会
- 著者:
- 麻井 玖美、角田 直美
-
「出雲大神宮史 : 丹波國一之宮」
- 出版:
- 出雲大神宮社殿創建千三百年大祭記念事業奉賛会
- 著者:
- 上田正昭 監修・編纂委員長
- 編集:
- 出雲大神宮史編纂委員会
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text / photo :HASは、多様な美しい物語を通して「物語のある暮らしを提案する」ライフストーリーブランド。 ライフストーリーマガジン「HAS Magazine」、クリエイティブスタジオ「HAS Couture」を手掛ける。