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2023.4.17
[ 中編 ]

悠久の時を紡ぐ
京都・宮川神社の縁を辿って

Miyagawa
Shrine
Miyagawa Shrine
中編
Miyagawa
Shrine

京の奥座敷とも称される、京都・亀岡市。
亀岡市へは、京都市内から電車で一本。
わずか30分ほどの列車の旅で辿り着く。

列車に揺られ、いくつものトンネルを抜けると車窓からの景色は一変する。
目の前に広がるのは、周囲を取り囲む山々と田園風景。
京都市内の喧騒を忘れさせるような自然豊かな風景と穏やかな時間が流れ始める。

そんな風景を横目に眺めながら、さらにバスに揺られること数十分。
周囲を田畑に囲まれた小さな田舎町、宮前町にたどり着く。
その宮前町の町外れには、山の麓の森に抱かれながら古の時を静かに刻み続ける、ある神社がある。

その神社の名前は、宮川神社。
木々の間から降り注ぐ木漏れ日と小川のせせらぎに包まれたこの場所は、まるで時の流れからこぼれ落ちてしまったかのような不思議な空気に包まれていた。

そんなこの場所に流れる物語に耳を澄ましてゆくと、あるひとつの縁にたどり着いたのであった。
それは、ある聖なる場所へと繋がってゆく、深い縁(えにし)。

そんな宮川神社の物語を紐解きながら、この場所で紡がれて来た悠久の縁を辿ってゆきたい。

中編
ある一族の記憶
Memories of
a Clan
Memories of
a Clan

古の縁を辿る旅へ

宮川神社が紡いだ古の縁。
そして、その縁にまつわる宮前町に残された物語と失われた書物に綴られた物語の記憶。
まずは、この地に残された物語を紐解くことから、その縁を辿る旅を始めてゆく。

宮前町に残された物語の中で、とある一族について語られている。
それは、宮川神社で祀られる母神「伊賀古夜姫命いかこやひめのみこと」の出自とともに伝えられたものである。

その一族とは、出雲族。
はるか昔、現在の山陰地方に存在したと言われる古代出雲の文化を起源に持つとされる一族である。
その一族と同じ名を持つ出雲大社は、現代の私たちにとっても馴染み深い神社ではないだろうか。

旧暦10月の異称である「神無月」には、全国の神々が出雲に集まると言われる。
そんな出雲大社に祀られる神様は「大国主大神おおくにぬしのおおかみ」。
大国主大神おおくにぬしのおおかみ」は、はるか遠い古の時代に、日本という国をつくったと伝えられる神である。

その後、「大国主大神おおくにぬしのおおかみ」は、現在の皇室の祖神と伝えられる「天照大御神あまてらすおおみかみ」に国を譲ったことが「古事記」と「日本書紀」に記されている。

雲出づる一族の記憶

それぞれの書物の中で国譲りは、平和的に行われたと記されている。
だが諸説あり、あくまでそれは神話の上の物語であり、実際は当時の勢力争いの末に果たされたとする言説も語られ、現代においてもその真相は明らかにはなっていない。
歴史の真実は、時の彼方に隠されてしまっているのだ。
だがそうした真相はともあれ、国譲りが行われた際に「天照大御神あまてらすおおみかみ」は「大国主大神おおくにぬしのおおかみ」に対し、次のような言葉をかけたと伝えられている。

「これからは、この世の目に見える世界の政治は私の子孫が当たることとします。あなたは目に見えない世界をつかさどり、むすびの御霊力によって人々の幸福を導いてください。」

この言葉が出雲大社という場所をあらゆる縁を結んでゆく、「縁結びの聖地」として語り継がれてゆく由縁となったのだ。
伊賀古夜姫命いかこやひめのみこと」は、そんな古の大いなる物語と深い関わりを持つ、出雲族の長の娘であったと語られているのである。

しかし、ひとつ疑問に感じることがあるのではないだろうか。
出雲大社は、山陰・島根県にある神社。
その神社と繋がりの深い出雲族がなぜ現在の京都・亀岡市近辺に暮らしていたのかと。
現代の私たちから見ると山陰と丹波の地の地理的な距離の遠さから考えても、それぞれの間に何の関係もないように感じられてしまう。

だがしかし、現在の亀岡市に残る、とある神社の物語を辿ってゆくと、その浮び上がった疑問を紐解く手掛かりが隠されていたのである。

丹波の地に伝わる物語

その神社とは、現在の亀岡市千歳町にある出雲大神宮。
その出雲という名が示す通り、まさに丹波と出雲族との関わりを明らかにする神社であったのだ。
地図を開き、宮川神社から真っすぐ東へと線を引いた先に位置するこの神社は、
JR亀岡駅から二駅の千代川駅から徒歩で40分ほどの山の麓にある。

その山は、御蔭山みかげやまと言い、太古の昔、人々はその山自体を神として崇め、信仰の対象としていたという。
その信仰の歴史は、なんと1万年以上も昔に遡ると伝えられている。

そして、この出雲大神宮に伝わる国造りの神話の中に、この地で暮らした出雲族の確かな足跡が残されているのだ。
その神話は、太古の時代の亀岡の風土を描くところから始まる。

亀岡盆地が大蛇の棲む、丹色の湖だった太古の昔のこと。
黒柄山に降臨した出雲の八柱の神々が一艘の樫の木で出来た船に乗ってやってきた。
柱とは、神様を数える時に用いる単位のこと。
つまり、8体の神様が出雲の地から丹波の地に船に乗り辿り着いたのだと。

それからほどなくして現在の保津峡にあたる、浮田の峡を鍬や鋤を用いて開削し、亀岡盆地を埋め尽くしていた湖の水を現在の京都市内にあたる山城へと流し、肥沃な地を造り上げた、と。

この伝承はまさに、出雲の神々を祀る、出雲を原郷に持つ人々が丹波の地を開拓した偉業を伝えるものと言えるだろう。
それはまた出雲族の人々がはるか古の時代に、この地で暮らし始めたことを物語るものだと考えられるのではないだろうか。

そして、そんな出雲族の足跡は、残された神話だけでなく、この神社の名前に隠された記憶の中にも刻まれているのだ。

名前に隠された物語

京都・亀岡市にある出雲大神宮と山陰・島根県にある出雲大社。
似たような名前を持つ二つの神社だが、その名前の変遷を紐解いてゆくと、もうひとつの記憶が浮かび上がってくる。

現代において、出雲という言葉を耳にすると真っ先に思い浮かべるのは、「出雲大社」ではないだろうか。
だが江戸時代までの日本人にとっては、決してそうではなかったのだ。

島根の出雲大社は、江戸時代末までは、神社の所在する杵築郷きづきごうに由来し、「杵築大社きづきたいしゃ」と言う名で呼ばれていた。
そのため江戸時代末までの日本では「出雲の神」と言えば、現在の京都・亀岡市にある「出雲大神宮」を指していたと言われている。

さらに丹波の風土を綴った「風土記」の中に、ある興味深い一節が残されている。

「元明天皇和銅年中、大国主命一柱のみを島根の杵築の地に遷す。すなわち今の出雲大社これなり。」

元明天皇和銅年中とは、西暦で言うと708年から715年のこと。
現在出雲大社で祀られる「大国主大神おおくにぬしのおおかみ」こと「大国主命おおくにぬしのみこと」が京都・亀岡の地から島根・杵築の地へと遷された。
だからこそ今の出雲大社の起源は、亀岡の地にあると綴っているのだ。

こうした残された言葉から京都・亀岡にある出雲大神宮は、島根・出雲大社よりも古くから「大国主大神おおくにぬしのおおかみ」を祀っていたと考えられている。
そうした歴史的な背景から「出雲大神宮」は、「元出雲」と言う俗称もまた持っているのだ。

託された運命の縁

丹波の地に残る創成の神話と名前に隠された物語。
それぞれの物語を紡いでゆくと、かつて古の時代に丹波の地で暮らした出雲族の人々の確かな足跡が浮かび上がってくる。
丹波の地は、古の時代から肥沃な大地として知られ、豊かな農産物に恵まれていた。
そのため、この地で暮らした出雲族は、繁栄し、豊かな文化を築き上げていたのだろう。

そして、宮川神社で祀られる「伊賀古夜姫命いかこやひめのみこと」は、そんな出雲族の長の娘であったのだ。

しかし、その宮前町に残された物語には続きがある。
出雲族が暮らした亀岡の地に、京都盆地からやってきたある一族と勢力争いになったというのだ。
だが幸いにも最終的には、両者の間で和睦を結ぶことになった。
そして、その和睦の印として「伊賀古夜姫命いかこやひめのみこと」は、勢力争いをしたその一族の長の妻となり、結ばれることになったのだ。

遥か古の時代、そうした婚姻関係を通しての和睦は珍しくなかっただろう。
彼女が自らが望んだのか、それとも一族を守るためだったのか、それぞれの氏族を越えた愛が二人の間に愛があったのか、もちろんこれは伝承の物語であり、その真相を知るすべは残されてはいない。

しかし、あくまで神話の物語ではあるが、遥か遠い出雲の地から亀岡の地に辿り着き、この地で暮らした多くの出雲族の運命が彼女一人に託されたのだ。
そして、そんな交錯する多様な運命を「伊賀古夜姫命いかこやひめのみこと」は、自らの内に受け止めたのである。

もしこの物語が何らかの出来事を参考として作られたとすれば、彼女の決断とその歩みは、多くの人々の暮らしを、そして心を灯したのではないだろうか。
またそんな彼女の生き方を称え、物語を紡ぎ、女神として祀り、後世へと語り継いでゆく人々の想いも、とても自然な流れに感じられるのだ。

もちろんこれは想像に過ぎない。
だがしかし、あくまで神話の上での物語ではあるが「伊賀古夜姫命いかこやひめのみこと」を通して、交錯した様々な運命が結ばれてゆく。
そして、そうして結ばれた運命がある聖なる縁へと導かれてゆくのである。

その導き手となったのは「伊賀古夜姫命いかこやひめのみこと」の妻となった、ある一族の長であった。その一族こそが交錯する多様な運命を聖なる縁へと導いてゆくのである。

■ 後編:「聖なる縁を辿って」に続く

Reference :

  • 「宮前町のしおり(2019年作成)」
    発行:
    宮前町自治会
  • 「丹波物語」
    出版:
    国書刊行会
    著者:
    麻井 玖美、角田 直美
  • 「出雲大神宮史 : 丹波國一之宮」
    出版:
    出雲大神宮社殿創建千三百年大祭記念事業奉賛会
    著者:
    上田正昭 監修・編纂委員長
    編集:
    出雲大神宮史編纂委員会
Category :
  • text / photo :
    HAS
    HASは、多様な美しい物語を紡いでゆくことで「物語のある暮らしを提案する」ライフストーリーブランド。ライフストーリーマガジン「HAS Magazine」のプロデュース、デザインスタジオ「HAS Couture」を手掛ける。
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