HAS Magazine
HAS Magazine
HAS Magazine
search

Membership

HAS Magazineは、メンバーシップにご登録頂いた皆様へお届けする様々な物語をご準備しています。ご利用スタイルに応じて、お選び頂ける各種プランがございます。
旅に出るように、まだ見ぬ美しい物語との出会いをお楽しみ下さい。

Home/ Story/ / さざなみの記憶と滋賀の祈り・後編

さざなみの記憶と滋賀の祈り

Prayer of Shiga
後編

静かに打ち寄せては、消えてゆく波の音。
夕暮れには、穏やかな湖面がゆっくりと夕日に染まり、
その美しさを讃えるかのように、
鳥たちが羽ばたきながら彼方へと消えてゆく。

ここ滋賀の地は、一面に広がる湖と周囲を取り囲む美しい山々によって、古の時代から数々の物語が紡がれて来た。
そんなこの地に息づく様々な物語に耳を澄ましてゆくと、
ある途方もない祈りの言葉に辿り着いた。

それは、無数の人々の想いと悠久の自然によって、時を越え紡がれて来た、決して古びることのない祈り。
そして、その祈りの中は、私たちが失いつつある大切な記憶が流れていた。
そんな祈りの言葉を紐解きながら、この地に宿る物語を紡いでゆきたい。

滋賀県
Shiga Prefecture

一面に広がる湖・琵琶湖と周囲を取り囲む山々によって、詩情豊かな美しい風景が紡がれる土地・滋賀。
その歴史は古く、遡ること約1万年前には、この地で暮らす人々の足跡が残されている。
かつては「近江国(おうみこく)」として呼ばれ、その呼称の起源は、奈良時代(710-740)に遡る。
奈良の都に近い淡水の湖として、当時の琵琶湖の呼称として用いられていた「近つ淡海(ちかつあわうみ)」が転じて、「近江国(おうみこく)」として呼ばれていた。
その後、江戸から明治への時代の移り変わりの中で、廃藩置県、廃仏毀釈などの様々な行政制度の改革に伴い、大津県を経て、明治9年(1876年)に、現在の呼称である滋賀県と定められる。

後編
途方もない祈りの言葉
Words of Prayer

受け継がれた意志

最澄がその生涯を懸け礎を築いた天台宗は、彼の意志を引き継ぐ様々な僧たちによって発展を遂げてゆく。のちに仏教の総合大学とも称される比叡山・延暦寺には、最澄が残した多様な人材を育てる学びの環境が用意されていたのだ。

事実、鎌倉時代には、今の私たちにも馴染みのある新しい仏教宗派の開祖となる数々の僧を生む。
浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、禅宗の道元、日蓮宗の日蓮などは、すべて比叡山で学びを深め、修行を重ねていたという事実は、まさにそのことを証明するものだろう。

そうした環境が生まれた背景には、最澄自身の仏教に対する学びの姿勢が隠されていた。
それは、何より経典を重んじ、様々な学識を深めてゆくという姿勢である。
天台宗が重んじていたのは、「四宗兼学(ししゅうけんがく)」という学び。
天台宗の中核を成す「法華経」だけではなく、「禅」「念仏」「密教」などあらゆる教えを学び、総合的に仏教への学びを深めてゆくことを何より大切にしていたのだ。

密教の伝授の際には、行を重んじる空海との決別の大きな理由ともなったのだが、
こと教育においては大きな意味を成したのであった。
その幅広い学びの環境が多様な考えを育み、様々な人材を育てていった。
良き人材こそが国宝である、そう語った最澄の想いと重なり合うように。

その中でも円仁(えんにん)・円珍(えんちん)という僧は、唐・長安まで密教を学ぶために、現地に留学し、最澄が生前成し得なかった密教の習得を果たす。
そして、安然という僧に至り、天台宗に密教の教えを取り入れた「天台密教」が大成するのである。

そうして、唐・天台山から始まり、最澄によって日本の地にもたらされた教えが、様々な人々の想いによって受け継がれ、日本独自の「天台密教」という教えとして大きく実っていたのである。

そして、その受け継がれた教えの中に、この地で育まれた途方もない祈りの言葉が紡がれているのである。

途方もない祈り

この地に息づく、途方もない祈りの言葉。
それは「天台密教」の教えの根底を成す、ある一つの言葉で表現されている。
その言葉とは、「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」。

ここで表される成仏とは、決して他界した故人へ向けられたものではない。
成仏という言葉が表す、本来の意味の通り、不安や悩み、迷いといった、
私たちが人生で直面する、あらゆる苦しみから解放され、
現世において悟りを開くという意味で使われている。

では、その言葉はどこに向けられているのであろうか。
まず真っ先に思い浮かべるのが、私たち人であると思う。
だが、この祈りの言葉が包み込む領域は、決して人々だけにとどまらず、
その範囲を大きく超えて、広がってゆく。

この言葉の中にある「草木」という言葉が表わすように、
人や動物に加えて、まずそこに草や木といったあらゆる「植物」が加わる。
そして、「国土」が表しているのは、「国」や「土」といった無生物。
さらにそこに、地球上に存在する生物だけではない、無生物も含めた、あらゆるものが加わるのだ。
最後の「悉皆(しっかい)」という言葉は、ひとつ残らず、全てを意味する言葉。

つまり、この言葉が包み込んでいるのは、この地球上に存在するありとあらゆるもの。
生きとし生きる物だけでなく、その命を育む、土や水、石といった全ての無生物の中にも生命を見出し、捧げられた祈りの言葉なのだ。

それは、無窮に広がる生命の循環そのものに捧げられた祈りであるとも言えるだろう。
またそれは、約46億年前、この果てしない宇宙の片隅に命を宿した母なる地球そのものに捧げられた祈りであるとも。

そんな途方もないほどの生命の広がりに対し、捧げられた祈りの言葉が紡がれているのである。

連綿と受け継がれる祈り

「天台密教」の中で紡がれていた、あらゆる生命に捧げられた途方もない祈りの言葉。
その祈りの言葉は、平安時代から鎌倉時代へと時代が移り変わり、
仏教自身が、貴族を中心とした教えから民衆に寄り添う教えへと大きく舵を切ってゆく中で、新たに生まれる様々な宗派に大きく影響を与えたとも言われている。

それは、浄土宗や浄土真宗、禅宗などの鎌倉仏教とも称される、今の時代へと連綿と続いてゆく様々な宗派である。

鎌倉仏教は、その特徴を大きく括ると「専修」という言葉で表現される。
それまでの仏教は、幾つもの定められた戒律という規則を守り、経典を紐解き、様々な修行を重ねることで、悟りの世界を目指していた。

しかし、鎌倉仏教は、その複雑な教えの一切を削ぎ落とし、一つの行に絞り込んでゆくのだ。
例えばそれは、浄土宗における念仏であり、禅宗における坐禅であった。
ただひたすらに念仏を唱えることで、ただひたすらに坐禅を重ねることで救われるのだと。

その変化は、時代の要請でもあった。
鎌倉時代初期、数多くの天災や飢饉に見舞われ、想像を絶するほどの民衆が命を失っていった。
彼らの多くは文字を読むことが出来ず、生きることと働くことが固く結びついた人々であった。

今まさに目の前で、そうした人々が命の危機にさらされていたのだ。
その光景を目の前にした時、鎌倉仏教の祖師たちに出来ることは、ただ一心に祈りを捧げ、多くの民衆の心を灯す教えを届けることであった。

これまでのような難しい教えではなく、誰もが手にすることが出来る教えを。

そうした状況があらゆる教えを一つの行に絞り込んでゆくという必然性をもたらした。
それはつまり、一つであり全てであること。そして同時に、全てであり一つである教えを。

その境地に至るには、逆説的ではあるが、まず全てを捉えなければならないのだと思う。その途方もない全てを。

その全てを掴んだ時、それが即ち一つであり、全てであると語ることが出来たのではないだろうか。

そして、比叡山で学びを深めた彼らの中に共通して流れていたのは、
その途方もない全てを一語で表す「草木国土悉皆成仏」という祈りの言葉であったのではないか。

そんなあらゆる生命を見渡す眼差しこそが、全てを一つに絞るという、これまでにない新たな境地へと彼らを導いたのだと。

そして、鎌倉仏教の祖師たちが紡いだ、新たな祈りのかたちは、当時は異端として迫害の憂き目に遭いながらも、真理を貫く教えとして、時を越え今もなお生き続けている。

しかし、不思議なことに、仏教発祥の地、インドには「草木国土悉皆成仏」のような祈りの言葉は存在しないという。
その起源は、天台宗発祥の地、中国の天台山にあるのだが、この祈りの言葉は中国においては主流になることはなかった。

だがその事実は、ある一つの大きな疑問を私たちに投げかける。
なぜそのような途方もない祈りがこの滋賀の地で育まれたのか、ということを。
そして、その疑問を紐解いてゆくと、この祈りが生まれた中国・天台山と滋賀の地に息づく悠久の自然の記憶につながってゆくのである。
(最終編へ続く)

Reference :

  • 「図説・滋賀県の歴史」
    編集:
    木村 至宏
    出版:
    河出書房新社
  • 「琵琶湖 - その呼称の由来」
    著者:
    木村 至宏
    出版:
    サンライズ出版
  • 「京滋びわ湖山河物語」
    著者:
    沢 潔
    出版:
    文理閣
  • 「近江古代史への招待」
    著者:
    松浦 俊和
    出版:
    京都新聞出版センター
  • 「人類哲学序説」
    著者:
    梅原 猛
    出版:
    岩波新書
  • 「最澄 - 京都・宗祖の旅」
    著者:
    百瀬 明治
    出版:
    淡交社
  • 「鎌倉仏教」
    著者:
    平岡 聡
    出版:
    角川選書
  • 「滋賀県の百年」
    著者:
    傳田 功
    出版:
    山川出版社
  • 「老子」
    翻訳:
    小川 環樹
    出版:
    中央公論新社
  • 「人間の土地」
    著者:
    サン=テグジュペリ
    翻訳:
    堀口 大學
    出版:
    新潮文庫
Category :
  • text / photo :
    HAS
    暮らしに美しい物語を。HASは、多様な美しい物語を通して、「物語のある暮らしを提案する」ライフストーリーブランドです。
Chapter list

Other Stories