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あてのない手紙

Aimless Letter

この夏、ひとつの小さな旅をしました。
広島市内から尾道、そして香川を巡る旅。
瀬戸内の穏やかな波音に導かれるような、ささやかな旅でした。

今回は、その旅の道中で想いを巡らせた、ある手紙の話をお届けします。
その手紙の贈り主は、志樹逸馬(しきいつま・1917〜1959年)という詩人。
生涯の大半を瀬戸内海に浮かぶ長島という岡山県の小さな島で過ごした詩人です。

彼は、「てがみ」と題する、ひとつの詩を残しています。

「てがみ」

てがみを書こう
ベッドに置いてもペンは持てるのだ

神さまへ
妻へ 友人へ 野の花へ
空の雲へ
庭の草木へ そよ風へ

へやに留守をしている オモチャの子犬へ
山へ 海へ
医師や 看護婦さんへ
名も知らぬ人へ
小石へ

ペンをもってじっと考えると
忘れられていたものがよみがえってくる

とても親しいと思っていた人が意外に遠く
この地球の裏側にいる人々がかえって近く
自分と切りはなせない存在であったと
気づいたりする

こうして 病室に入り
すべての人から遠ざかった位置におかれてみて
人は はじめて ほんとうの手紙が書けるようになる
(『新編 志樹逸馬詩集』より)

彼が暮らした岡山県・長島には、ある悲しい記憶が刻まれています。
それは、かつて多くのハンセン病患者が国の政策によって、この島に強制隔離されたという記憶。

ハンセン病とは、らい菌によって引き起こされる感染症のこと。
発症すると末梢神経に病変が生じ、痛さや暑さ、冷たさといった様々な感覚が失われ、皮膚に様々な病変を引き起こします。

しかし、感染力が非常に弱いため、乳幼児期に大量に何度も菌を吸い込む以外では、日常生活で感染する可能性はほとんどなく、たとえ感染したとしても、衛生状態や栄養状態が保たれていれば、発症することはほとんどありません。

また発症したとしても現在では治療法が確立され、後遺症を残さずに完治出来るため、決して恐ろしい病気ではないのです。
ですが、まだ治療法が確立されていない、1900年代初頭の日本では、ハンセン病を患う方々に対して、あまりにも厳しい措置が施されました。

それは政府主導による、ハンセン病患者の強制隔離でした。
その対策は年々厳しさを増し、1931年の「らい予防法」の成立に伴い、国民全体の中にハンセン病患者に対する強い差別意識が育まれてゆきました。

ハンセン病を患う人が見つかると、その患者は家族から引き離され、強制的に国の指定する隔離施設に収容され、一生施設から出ることは出来ませんでした。
さらに、本名を変えることを勧められ、死後も家族と同じ墓に入ることすら許されなかったのです。

まさに現実社会からの存在の抹消とも言うべき、凄まじい差別でした。
また残された家族の家は、真っ白になるほど消毒され、その家族に対しても心のない差別の言葉が投げかけられたといいます。

そんな絶望的とも言える状態の中で、あるひとつの光明が届けられます。
1943年に米国でプロミンと呼ばれる治療薬が開発され、適切な治療を施せば治癒出来る病気になったのです。
ですが、その光は日本国内を覆う暗闇を照らすことはありませんでした。

Reference :

  • 「新編 志樹逸馬詩集 」
    著者:
    志樹 逸馬
    編集:
    若松 英輔
    出版:
    亜紀書房
  • text / photo :
    HAS / Hiroaki Watanabe
    HAS ディレクター / デザイナー。 神戸市出身 京都在住。
    立命館大学産業社会学部在学中に、インディペンデントの音楽イベントの企画・運営に携わる。
    卒業後は環境音楽の制作を開始。その後、独学でウェブ・グラフィックデザインを学び、2019年にHAS創業。
    暮らしを灯す物語をテーマに、デザイン、言葉、写真、音楽を重ね合わせながら制作を行う。

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