京都・古のせせらぎを奏でて
Ancient River
Ancient River
この言葉は、平安時代のある日記に残されていた言葉。
幾度もの時代の移り変わり、数々の動乱に巻き込まれながらも、約1200年前にこの地に灯された都市の光は、決して途絶えることなく輝き続けた。
なぜこの地の光は消えることなく、永遠の命を宿すことが出来たのだろうか。
そんな京都に宿る永遠の都市の光を紐解いてゆく「京都・古のせせらぎを奏でて」。
中編の題名は「彼方からの海風」。
今回の物語では、平安京の西の守護神「西の猛霊」を祀った、ある一族の遥かなる旅の記憶を辿ってゆきたい。
- text / photo HAS
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[ 序章 ]ある日記の言葉
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[ 前編 ]永遠の都の暁
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[ 中編 ]彼方からの海風
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[ 後編 ]清流に導かれて
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[ 最終編 ]せせらぎに耳を澄まして
from beyond
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終わりのない旅
平安京の誕生に関わる、二つの一族が辿った遥かなる旅の物語。
まずは、桂川流域を拠点に「西の猛霊」を祀った、ある一族の旅の物語を紐解いてゆきたい。
彼らは、自らを「秦族(はたぞく)」と言った。
彼らが名乗った「秦」という名前の由来は、幾つか伝えられている。
その内のひとつに、かつて中国にあった王朝「秦(しん)」に由来すると言われるものがある。
「秦」は、歴史上初めて中国を統一した王朝のこと。
それは、平安京が誕生する西暦794年から遡ること一千年ほど前のことだった。
そして、その「秦」は、かつての彼らの故郷の地だったのだ。
そう、彼らの旅の物語は、京都盆地から遥か海の彼方にある、中国大陸から始まる。
彼らの「秦」という名前には、遥か古の故郷の記憶が隠されているのだ。
彼らの旅の始まりは、秦の皇帝から厳しい労役を課せられたことがきっかけだった。
その労役から逃れるため、彼らは中国大陸を離れ、朝鮮半島への移住を決める。
だが安住の地を追い求めて移住した朝鮮半島もやがて、いくつもの国々が生まれては消える、数百年に渡る戦乱の時代に突入してゆく。
立て続けに一族のもとに降り注ぐ困難。
それは、いつ明けるとも知れない暗闇の中を生きるような日々だっただろう。
だが、そんな暗闇に包まれた日々の中で、彼らはひとつの光を海の彼方に見出したのだ。
それは遥か海を越えた先にある日本の地だった。
中国、朝鮮と旅を重ねながらも、決して辿り着けなかった安住の地。
彼らは、新たな光を追い求めて、日本への旅を決意したのだ。
それは、平安京が誕生する500年ほど前の出来事だった。
微かな光
苦難に満ちた旅の果てに、彼らが新たに光を見出した日本への旅。
しかし、その旅は、大きな不安がつきまとう旅でもあった。
当時の航海は、木造の船と帆を頼りに、海流を読みながらの航海。
天候の急変、予想外の大波など、ひとつでも判断を間違えれば、海の藻屑として消えてしまう。
まさに命を賭しての旅だったのだ。
当時の朝鮮半島と日本を結ぶ最短の航路は、九州北部へと辿り着く海の道。
その航海の際に道標とされていたのは、終着地の九州北部に浮かぶ「沖ノ島」だった。
その島は、古来から神が宿る島と言われ、麗しい三女神が祀られていた。
海は人々に恵みをもたらす一方で、時に荒れ狂い、人や船を飲み込んでしまう恐ろしい力を持つ。
そのため、この地で海に関わる人々は、海に宿る神霊を鎮めるために「沖ノ島」を聖地とし、祈りを捧げていた。
彼らは、その島をたよりに航海をした。
だからこそ、彼らにとってその島は、長い遍歴の旅に終わりを告げる、新たな光のような存在だったに違いない。
そして、朝鮮半島から見つめた、その島に宿る光は、きっと微かな光として彼らの心の中に映っただろう。
彼らは、そんな海の彼方にある微かな光をたぐり寄せるように海の旅へと向かっていったのだ。
そして、その島を見つけた時、彼らの命懸けの海の旅は終わりを迎えたのだ。
旅の終着地
遍歴の旅の果てに、日本に辿り着いた秦族。
彼らは日本の地でも、より良い土地を探し求め、さらなる旅を重ねていった。
そうして彼らが最後に辿り着いたのが平安京・誕生の地、京都盆地にある桂川流域だった。
彼らが京都盆地にやって来た時、桂川流域は、水の恵みと肥沃な土壌が育む、豊かな土地だった。
だがその一方で、この地に住む人々は、繰り返される桂川の氾濫悩まされ続けていた。
この土地に住む人々のかねてからの願いは、氾濫する桂川の治水だった。
治水さえ出来れば、安心して暮らすことが出来ると。
そして、そんな彼らの積年の願いを叶えたのが、この地に辿り着いた秦族だったのだ。
彼らは、自らの土木技術によって、桂川の治水と灌漑を成功させる。
それは当時の日本では、例を見ないほどの先端技術が用いられた大工事であったという。
遍歴の旅を重ねながら大陸で様々な技術を身に付けて来た、彼らだからこそ成せる技だった。
その功績によって大きな信頼を掴んだ秦族は、先住の人々と共に手を取り合いながら桂川流域を発展させていった。
安住の地を追い求め、数百年にわたる遍歴の旅を重ねた、彼らの旅がようやく終わりを迎えたのだ。
そして、この地での先住民との協働を通して、先住民の信仰と秦族の信仰は重なり合い、古くから神が宿る山「松尾山」に、それぞれの神を祀る神社が創建される。
この神社の名は、松尾大社。
今も京都の西で一千年の時を越え、鎮座する京都を代表する古社のひとつ。
そう、この松尾大社で祀られる神こそが、後に平安京の西を守護する「西の猛霊」となってゆくのだ。
花開いた記憶
彼らは、その技術力と桂川の治水と灌漑で得た大きな財力で、長岡京から平安京までの都の造営に尽力する。
そして、彼らがもたらしたものは、土木技術や資金提供だけではなかった。
それは、養蚕や機織、染色などの工芸技術、さらには酒造りや医療技術に至るまで。
今なお連綿と受け継がれる伝統産業の礎となる技術を、京都の地にもたらしたのだ。
それらの技術は、やがて京文化となり、その文化が全国に広まってゆく中で、今日に至る日本文化として継承されてゆくのである。
秦族は、苦難に満ちた遍歴の旅の中で育んだ、数々の経験や技術を日本の地で花開かせていったのだ。
「西の猛霊」には、様々な技術や産業を通して、平安京の礎となる土台を築いた秦族の遍歴の旅の物語が流れているのだ。
彼らの存在があったからこそ、平安京は理想に終わることなく、確かな土台の上に都を築くことが出来たのだ。
そして、彼らが築いた土台の上に、もうひとつの旅の物語が重なってゆくことで、
平安京は、ついに永遠の都として命を宿すのである。
そのもうひとつの物語とは、「東の厳神」を祀った一族が辿った旅の物語。
京都に宿る永遠の都市の光を紐解く、最後の鍵を見つけるために、彼らが辿ったもうひとつの旅の物語を辿ってゆきたい。
- text / photo HAS
Reference :
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「水と世界遺産 景観・環境・暮らしをめぐって」
- 編集:
- 秋道智彌
- 出版:
- 小学館
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「京の社 神々と祭り」
- 著者:
- 上田 正昭
- 出版:
- 人文書院
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「京都の歴史1 平安の隆運」
- 編集:
- 佛教大学
- 出版:
- 京都新聞社
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「祈りの回廊 特別講和「始まりの地、葛城と鴨族」 制作 : 奈良県観光局 観光プロモーション課」
- URL:
- www.inori.nara-kankou.or.jp/inori/special-interview/kowa20
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「歴史で読み解く京都の地理」
- 編集:
- 賀茂御祖神社
- 出版:
- 淡交社
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「下鴨神社と糺の森」
- 編集:
- 賀茂御祖神社
- 出版:
- 淡交社
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「謎の渡来人 秦氏」
- 著者:
- 水谷千秋
- 出版:
- 文藝春秋
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「松尾大社 神秘と伝承」
- 著者:
- 丘眞奈美
- 監修:
- 松尾大社
- 出版:
- 淡交社
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「賀茂御祖神社」
- 編集・発行:
- 賀茂御祖神社社務所
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「世界文化遺産・賀茂御祖神社 - 下鴨神社のすべて」
- 編集:
- 賀茂御祖神社
- 出版:
- 淡交社
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「秦氏とカモ氏」
- 著者:
- 中村修也
- 監修:
- 臨川選書
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text / photo :HAS Magazineは、旅と出会いを重ねながら、それぞれの光に出会う、ライフストーリーマガジン。 世界中の美しい物語を届けてゆくことで、一人一人の旅路を灯してゆくことを目指し、始まりました。About : www.has-mag.jp/about
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[ 中編 ]彼方からの海風
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