光を描いた日本画家
菱田春草の物語
菱田春草の物語
Shunso
Shunso
幾多の動乱を経て、江戸から明治への時代の大きな移り変わりに共鳴するように、伝統的な日本画の世界において、新たな変革の旗手となる一人の青年が現れた。
その青年の名は、菱田春草。
そんな一人の画家の物語を辿ってゆく「光を描いた日本画家 菱田春草の物語」。
後編の題名は、「運命を変える旅路」。
今回の物語では、不遇の日々を過ごす春草の運命を大きく変えることになる、幾つかの旅の物語を紐解いてゆきたい。
- text HAS
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[ 序章 ]光を描いた日本画家 菱田春草の物語
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[ 前編 ]意志を越えた導き
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[ 中編 ]新たな光を宿して
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[ 後編 ]運命を変える旅路
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[ 最終編 ]遥かな光の先に
change destiny
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転機となる旅路
新しい表現の道を切り拓くために、世間の評価との大きなずれに苦しみながら不遇の日々を過ごしていた、春草と大観。
そんな二人のもとに、ある日ひとつの転機となる話が舞い込んで来る。
それは、岡倉天心からのインドへの渡航の誘いだった。
以前、岡倉天心がインドへ旅した時に訪れた、ティペラ王国という国の国王から、あるひとつの依頼を聞いていたのだ。
ティペラ王国は、かつてインドがイギリスの植民地であった時代に、インドの地にあった小さな王国。
その依頼は、「宮殿の装飾を日本の美術家に頼みたい。」というものだった。
二人は、その依頼を受け、岡倉天心と共にインドを訪れることを決める。
明治36年(1903年)1月、身を切るような冬の寒さに包まれる、ある冬の日のことであった。
この時、春草は28歳になろうとしていた。
そして、大海原を越え、長い船旅の末に、彼らはインドの地に無事辿り着く。
そこでは、宮殿の装飾の仕事だけではなく、現地のインド人画家との交流も盛んに行われたという。
その交流の中で、彼らは思いがけない評価を受けることになる。
一筋の光
日本においては、見向きもされなかった彼らの絵がインドの地では、賞賛を受け、大いに受け入れられたというのだ。
当時インドは、イギリスの植民地であったことが影響し、絵画の世界においても西洋的な表現が重視され、写実的な西洋画が支配的であったという。
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Reference :
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「菱田春草」
- 著者:
- 近藤 啓太郎
- 出版:
- 講談社
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「不熟の天才画家」
- 監修:
- 鶴見香織
- 出版:
- 平凡社
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「菱田春草 生涯と作品」
- 著者:
- 鶴見香織
- 監修:
- 尾崎正明
- 出版:
- 東京美術
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text :HAS Magazineは、旅と出会いを重ねながら、それぞれの光に出会う、ライフストーリーマガジン。 世界中の美しい物語を届けてゆくことで、一人一人の旅路を灯してゆくことを目指し、始まりました。About : www.has-mag.jp/about
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[ 序章 ]光を描いた日本画家 菱田春草の物語
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[ 前編 ]意志を越えた導き
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[ 中編 ]新たな光を宿して
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[ 後編 ]運命を変える旅路
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[ 最終編 ]遥かな光の先に