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2023.9.15
[ 後編 ]

光を描いた日本画家
菱田春草の物語

Hishida
Shunso
Hishida Shunso
後編
Hishida
Shunso
遡ること約120年前。
幾多の動乱を経て、江戸から明治への時代の大きな移り変わりに共鳴するように、伝統的な日本画の世界において、新たな変革の旗手となる一人の青年が現れた。

その青年の名は、菱田春草。
そんな一人の画家の物語を辿ってゆく「光を描いた日本画家 菱田春草の物語」。

中編の題名は、「新たな光を宿して」。
今回の物語では、春草の東京美術学校での修練の日々と、その先で彼が手にした新たな光の記憶を紐解いてゆきたい。
後編
新たな光を宿して
Dwelling
a new light
Dwelling
a new light
晩秋 1908年

地道な修練

東京美術学校という素晴らしい才能が集う、恵まれた環境の中で、春草は、画家としての大きな一歩を踏み出していった。
そんな彼は、学年が上がるにつれて、自らの才能を遺憾なく発揮していったという。
だがそれは、生まれ持った才能によるものだけでなく、地道な修練の積み重ねの成果でもあった。

春草が特に熱心に取り組んでいたのは、「古画の模写」。
それは当時の学校の日本画科の教授であった、橋本雅邦がほうによって教えられた画力向上のための修練の方法であった。

橋本雅邦は、明治時代に活躍した狩野派の日本画家。
彼は、海を越え海外でも高く評価を受けた、まさに名実ともに日本を代表する画家の一人である。

紫陽花 1902年

そんな雅邦によって教えられた「古画の模写」は、彼の画力の向上に大きく寄与したという。
「古画の模写」は、その言葉の通り、古くから伝わる名作と呼ばれる作品を寸分違わず写し描く修練であった。
当時、春草と共に様々な古画の模写を行った横山大観は、その当時のことを振り返り、後年次のような言葉を残している。

「橋本先生の言われた古画の模写というのは、いま考えても、とてもよろしうございます。古画を見て、ただそれを写すとその精神を捉えることができない。
だから古画を毎日掛けてはしまい、掛けてはしまい、一週間くらい何もせずにそれを見ていて、古画がすっかり脳裏に入ってしまってから、これを初めて写すというのです。〔中略〕春草君とも話し合いまして、在学当時に言われたやり方で、『初めから写すとだめだぞ、魂の抜けた絵が出来てしまうから、三、四日遊ぶつもりで絵とにらめっこしよう』というようなわけで、お寺に行っていきなり写さなかったものです。」
(菱田春草 / 著者 : 近藤啓太郎より)

春野 1901年

精神の深みへ

画家パブロ・ピカソが残した「優れた芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む。」というあまりに有名な言葉があるが、まさに彼らが行った模写は、端なる模倣を越え、その絵の真髄を掴み、己の絵の精神として昇華する修練であったのだ。

そして、その修練の成果として、なんと彼らは「目にする自然の景色をその場で描くことなく、一度頭の中に写した後、改めて風景を絵で再現する」という、まるで魔法のような特殊な記憶能力を得たのである。
もちろんそれは、一朝一夕で得たものではなく、血の滲むような努力の先で手にした能力であったことは言うまでもないだろう。

帰路 1904年

春草は、持って生まれた才能や素晴らしい出会いに恵まれながらも、決してその境遇に甘えることなく、自らの強い意志のもと、地道な努力を重ねることで、自らの才能を開花させていったのである。

そんな修練の日々とも言える学校生活を過ごした春草は、東京美術学校の卒業に際し、卒業制作「寡婦と孤児」を発表する。
その作品は、校長である岡倉天心の激賞を受け、彼は東京美術学校を主席で卒業することになる。

そして、卒業後、彼は盟友・横山大観と共に、学校で学び得た様々な技術や表現を下地に、新たな日本画の境地を切り開く、大きな一歩を踏み出してゆくのである。

春色 1905年

光と空気を描くために

「墨による輪郭線を使わずに、光や空気を表現できないか。」

岡倉天心は、東京美術学校を卒業した春草と大観の二人に、そう問いかけたという。
その言葉を受け、二人は試行錯誤を重ね、その果てに、ある一つの表現手法が生み出されたのである。

その表現手法とは、「無線描法」と呼ばれる手法であった。
「無線」という言葉が表す通り、この手法の大きな特徴は、それまで伝統的に重んじられて来た、墨の筆線を排除することであった。

あえて筆による線での表現を行わず、刷毛で線をぼかした。
またそれだけでなく、絵具が濡れているうちに布で拭き取る、絵具と薄墨を重ねてぼかすなど、従来の日本画では邪道とされていた方法を積極的に用いた表現であった。

この手法によって、それまでの日本画では表現が難しかった、「拡散する光の表現」や「湿り気を帯びた空気感」を日本画に取り入れることが出来たのだ。

帰漁 1904年

だがそれは同時に、それまで培って来た伝統的な筆線の技法を軽んじているとも世間からは捉えられてしまう。
あろうことか日本画への冒涜であるとまで言われ、批判されたというのだ。

伝統的な筆線は、一発勝負であり、その筆さばきには集中力と熟練の技が必要であった。
それがゆえに、筆線を排した彼らの表現には、精神性も技術もないと言われ、批判の対象になってしまったのだ。

そのため「無線描法」は、「朦朧もうろう体」や「没線もっせん描法」という言葉に批判的な意味で置き換えられ、あくまで精神性の低い表現として揶揄されてゆくのである。
その背景には、作品そのものの良し悪しだけではなく、自らの理解を越えた新たな表現に対する、世間からの大きな拒否反応があったのだ。

そんな当時の時代背景から、彼らが発表した作品は、まったくと言っていいほど売れなかったという。
そのため春草は、類稀なる才能を持ちながらも、卒業後に結婚した妻とその間に生まれた子を養いながらのあまりに厳しい貧乏暮らしが続くことになる。
それはまさに不遇と言える苦しい日々であった。

躑躅図 1905年

一途な歩み

この時の不遇の時代を振り返り、横山大観は、こう回想している。

「私や菱田君が岡倉先生の考へに従って絵画制作の手法上に一つの新しい変化を求め、空刷毛を使用して空気、光線などの表現に一つの新しい試みを敢えてした事が当時の鑑賞会に容れられず、いわゆる朦朧派の罵倒を受けるに至った。いわゆる朦朧派がいいと考えたのではない。ただ古画の研究から一種の自覚を促され、今まで試みられなかったものを表現しようと考えたに過ぎない。この真面目な研究の道程としていかなる罵倒も我慢しようと努めた。一途に自己の信ずる道に邁進したまでである。」
(横山大観自叙伝より)

この言葉から、世間の評価との大きなずれの中で葛藤しながらも、屈することなく歩み続ける覚悟を抱いていた、彼らの強い意志を感じ取ることが出来る。

そして、この言葉から読み解くことが出来る、もう一つ重要な事実は、彼らは決して無下に伝統的な技法を排したわけではないということだ。

海月 1907年

古画の模写を徹底的に行い、伝統的な技法を表層ではなく、精神の深みから理解していた彼らである。
そんな彼らが伝統の筆線に対し、浅簿な態度を取るはずがないことは容易に想像出来る。
むしろ誰よりも深い敬意を持って向き合っていたからこそ、伝統の深層に流れる次の時代へと繋がる一筋の光をすくい上げることが出来たのではないだろうか。

こうした不遇は、いつの時代も変わらず、これまでにない新たな挑戦を始める、全ての人に待ち受ける通過儀礼なのかもしれない。
そんな光の見えない日々の中だったが、彼らは決して屈することなく、自らの信念を持って歩み続けたのであった。

そして、そんな不遇の日々を過ごしていた春草と大観のもとに、ある日突然、ひとつの転機となる、ある話が舞い込んで来たのである。

Reference :

  • 「菱田春草」
    著者:
    近藤 啓太郎
    出版:
    講談社
  • 「不熟の天才画家」
    監修:
    鶴見香織
    出版:
    平凡社
  • 「菱田春草 生涯と作品」
    著者:
    鶴見香織
    監修:
    尾崎正明
    出版:
    東京美術
Category :
  • text :
    HAS Magazine
    HAS Magazineは、旅と出会いを重ねながら、それぞれの光に出会う、ライフストーリーマガジン。 世界中の美しい物語を届けてゆくことで、一人一人の旅路を灯してゆくことを目指し、始まりました。
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