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2023.11.13
[ 前編 ]

奈良・春日野と
聖なる森の月夜

Sacred Forest
in Nara
Sacred Forest in Nara
前編
Sacred Forest
in Nara
豊かな自然と伝統の香りに包まれた、古の都・奈良。
この都市には、遥か古の時代から大切に守り継がれて来た森がある。

その森の名は「春日山原始林」。
太古の自然を今に残す貴重な森として、世界遺産にも登録されている森だ。
奈良・春日大社の後方に佇む、御蓋山の中にあるこの森は、神が宿る聖なる森として1100年以上もの昔から特別な祭祀を除き、人々の入山が禁止されて来た。

そんな遥かなる時を宿す、聖なる森の記憶を辿ってゆくと、あるひとつの記憶に辿り着いた。
それは、かつて古の人々が紡いだ人と自然の共生の記憶。
その記憶は、様々な環境問題に直面する、今の地球に生きる全ての人々にとって指針になりうる大いなる記憶であったのだ。

そんな遥かなる時を宿す、古の森の記憶を辿ってゆく、「奈良・春日野と聖なる森の月夜」。
前編の題名は「聖なる森の記憶」。
今回の物語では、「春日山原始林」に秘められた「聖なる森の記憶」を紐解いてゆきたい。
前編
聖なる森の記憶
Memory of
Sacred Forest
Memory of
Sacred Forest

神秘の世界の扉

奈良・春日野の地に残された、聖なる森「春日山原始林」。
この森の記憶を辿ってゆくために、まずはこの森が醸し出す独自の世界とその特徴を紐解いてゆくところから、この物語を始めてゆきたい。

「春日山原始林」は、聖域として入山が禁止されているため、一般の人々は森の奥深くへは立ち入ることは出来ない。
しかし、「春日山原始林」を取り囲むように周囲は遊歩道として開放されているため、誰もがその森の空気に触れることが出来るのだ。

特に南の遊歩道である「滝坂の道」では、まるで深い森に迷い込んだような神秘的な「春日山原始林」の世界を垣間見ることが出来る。

そんな「滝坂の道」に足を踏み入れると、そこにあるのは私たちの身近にある自然とは、全く異なる世界。

鬱蒼と生い茂る木々と植物。
樹齢数百年にも及ぶであろう巨大な木々が地面深くに根を下ろし、その根本は深い緑に染められるように苔に覆われている。
まるで天まで届くように伸びた木々は、空からの光を遮るように枝と葉を張り巡らせている。

そのためこの森は、昼間でも太陽の光が降り注ぐことなく、仄暗い。
木漏れ日と穏やかな自然を感じられる里山の森とは対照的な、まるで日常の世界から隔絶されてしまったかのような神秘性を帯びているのだ。

その神秘的な森の雰囲気は、私たちにもう一つの世界の扉を開けたかのような不思議な感覚を呼び起こさせる。

多様な命が重なる森

そんな神秘的な空気を宿す「春日山原始林」は、「極相」と呼ばれる状態の森であるという。
「極相」とは、全く植物のない裸の土地から長い年月をかけて、植物の種が入れ変わりながら最終的に辿り着く森のことを言う。

最終的な森の姿は、その土地の持つ気候風土によって異なる。
日本の場合は、降水量と気温が十分であるため、ほとんどの場所で、「極相の森」は、深い森になってゆくと言われている。
「春日山原始林」に足を踏み入れると感じる、仄暗く神秘的な雰囲気は、この「極相の森」によって生み出されたのだ。

そして、「裸の土地」から「極相の森」に至るまでには、最低でも200年から500年もの時間がかかるという。
とても人間の一生では推し量ることの出来ない、気の遠くなる時間の果てに生まれる森なのだ。

多様な命が生まれ、消えてゆく。
その幾重もの重なりの先に生まれた森。
それはまさにあらゆる生命の記憶を宿した森とも言えるかもしれない。

だからこそ、この森を訪れると不思議と私たちの心の奥底に潜む野性が微かに息を吹き返すような感覚を覚える。
それは自然に対する親しみと言うだけではなく、自然に対する畏れと敬いを併せ持った不思議な感覚。

それは人智を超えた自然の力が呼び起こす、私たちが忘れかけていた人間の脆さなのかもしれない。
なぜなら遥か古の時代、私たちの祖先となる人々は「春日山原始林」のような深い森の中で、自然に生かされながら自然と共に暮らしていたのだ。

今私たちが生きる科学技術の発展した現代社会での暮らしは、僅か100年にも満たない。
日本人が日本という島国で辿って来た歴史を紐解くと、遥かに長い時間を私たちは森と共に生きていたことが明らかになる。

そんな聖なる森が呼び覚ます、古の人々の記憶の中に、新たな時代の光となり得る、大いなる記憶が隠されていたのである。

森の民の記憶

「春日山原始林」が呼び起こす、古の人々の記憶。
その人々とは、今から遡ること約1万3000年ほど前に、日本の地で生きた縄文人と呼ばれる人々。

彼らが生きた時代は、後に縄文時代と呼ばれ、稲作と共に幕を開ける弥生時代が始まるまでの約一万年もの長い時を紡いだ。
彼らは、その気の遠くなるような時間の中で、後に縄文文化と呼ばれる独自の文化を築き上げた。
その文化は、彼らの暮らしと深く関わりながら育まれた文化であった。

その暮らしとは、自然の一員として、生きとし生きるものと共に生きる暮らし。
森と共に生き、森と共に暮らす、森の文化であった。

遥か古の時代、日本列島は、深い森に抱かれた島国だった
日本は、島国のため国土の周囲を海に囲まれている。
その環境が季節を問わず、多くの雨をもたらし、森の生育に最適な環境を生み出した。
「春日山原始林」で見られるような、「極相の森」が至る所で広がっていたのだ。

そんな深い森の中で、縄文人の暮らしは営まれていたという。
彼らの衣服は、木々の繊維や木の皮で編まれた布。
住まいは、木で組まれ、屋根は木の皮や葦で作られ、床は土に木の繊維を混ぜて作られていた。
彼らの生活のすべてが森の素材で作られていた。

そして、彼らの精神世界もまた、森の中で深められた。
縄文時代という名前の由来は、彼らが作った縄目模様を持つ土器、縄文土器に由来する。

その模様は、木の皮や繊維を束ねることで強力な力を持つ、縄でつけられた。
それはただの装飾という意味を越えて、強い力を持つ縄で模様をつけることが呪術的な力を生み出すと考えていたという。

それは、まさに「森の魔法」とも呼べるものだったのかもしれない。
その「魔法」が彼らの精神の礎となり、彼らの暮らしを守っていたのだ。
目に見える暮らしだけでなく、彼らの精神もまた目には見えない「森の精」に支えられていたのだ。

そうして私たちの祖先は、一万年以上もの長きにわたって、まさに森に抱かれるようにして生きていた。
森のささやきに耳を澄まし、森が紡ぐ時間の中で生きることが伝統的な日本人の暮らしだった。

かつて私たち日本人は、確かに森の民であった。
森は、私たちにとって遥かなる故郷である「母なる森」であったのだ。

森が育んだ感性

森の民であった縄文人は、常に自然と調和した暮らしを営んでいた。
春には、湖岸で様々な貝を取りに出かけ、山では山菜や球根を集めた。
夏になれば海へ出かけ、様々な魚を取りにいった。

秋は、収穫の季節。
クルミに代表されるような様々な木の実の採集を行なった。
そして冬になると猪や鹿を捕まえるため、人々は狩りに出かけた。
そんな風にして、縄文人は、自然の変化、季節の変化と深く関わりながら、自然と調和しながら暮らしを営んでいたのだ。

古の時代から細やかな季節の変化を大切にして来た日本人。
その感性の下地は、一万年もの長い時間をかけ、縄文人が暮らした深い森の中で育まれていったのだ。
かつて万葉集に収められた数々の和歌も、自然の情景を短い言葉で捉える俳句にも、森の中で育まれた感性が流れているのだ。

今も私たちが暮らしの中で何気なく想いを馳せる、巡りゆく季節への想いには、遥か古の時代、かつて私たちが森の民であった時代の記憶が今も消えることなく宿っているのかもしれない。

そんな自然と共に生きた縄文人にとっての何よりの知恵は、自然を理解することであった。
自然の法則を理解し、自然がもたらす実りを知ること。
また時に自然がもたらす恐ろしさや猛威を知り、自然を畏れ、敬うこと。

それらの知恵は、現代の科学のような客観的な知識ではなく、自らの生活に根差した切実とも、時に祈りとも言えるような、深い眼差しの先にある知恵であった。

森で生まれた思想

彼らが森の中で紡いだ知恵は、自然と人との独自の関係性を育んでいった。
彼らは、常に巡りゆく自然に耳を傾け、生命の再生のリズムを大切にしていた。
自然からもたらされる実りを取り尽くすことなく、あらゆる命が巡り、また再生することを願っていたのだ。

そのため彼らは、一年を通して狩猟を行うことはなかった。
あくまで寒い冬を乗り切るための脂肪を蓄えた食料を得るために、限られた冬の季節だけ狩猟を行っていた。
決して彼らは、自分達の必要以上に、むやに動物たちを殺すことはなかった。
彼らが生きてゆくために、本当に必要な時にのみ狩猟を行なったのだ。

そこには、彼らの自然に対する、強い自制心を感じることが出来る。
それは森の暮らしの中で育まれた、彼ら独自の生命の循環の思想だった。

縄文人にとって、森やそこに生きる動物たちは、人々が支配する対象ではなく、同じ森で共に生きる仲間でもあった。
決してむやに命を奪う相手ではなかったのだ。

縄文人の心の中には、常にそうした循環する自然への想いが流れていたのだ。
森と共に生き、森と共に暮らす中で育まれた思想。
彼らは文字も紙も持つことはなかったが、深い森の中で「森の思想」とも言うべき文化を築き上げたのだ。

そして、そんな自然と調和した暮らしの中で、一万年という途方もない時間を越え、ひとつの文化を維持させたのである。
それはまさに人類史上でも奇跡とも言えるほど、稀に見る持続可能な社会だったのだ。

その社会がいかに稀有なことであったか。
それは、縄文人が生きた時代と同じ時代に遥か海の彼方で花開いた幾つかの文明の記憶を辿ってゆくと明らかになる。
それらの文明とは、ユーラシア大陸の各地で眩いばかりの輝きと共に、人類の歴史の中に燦然と現れる世界四大文明として知られる文明。

それは今の私たちが生きる科学技術が発達した現代社会のルーツともなった文明である。
だが、その文明の記憶を紐解いてゆくと、それらの文明は大きな輝きと共に、ある深い影を落とす文明でもあったのだ。

Reference :

  • 「日本という国―歴史と人間の再発見」
    編集:
    梅原猛
    編集:
    上田正昭
    出版:
    大和書房
  • 「森の日本文化 - 縄文から未来へ」
    著者:
    安田喜憲
    出版:
    新思索社
  • 「鎮守の森 - 社叢学への招待」
    著者:
    上田正昭
    出版:
    平凡社
  • 「照葉樹林文化 - 日本文化の深層」
    編集:
    上山 春平
    出版:
    中央公論新社
  • 「照葉樹林文化論の現代的展開」
    著者/編集:
    金子 務
    著者/編集:
    山口 裕文
  • 「世界遺産 春日山原始林 -照葉樹林とシカをめぐる生態と文化-」
    編集:
    前迫ゆり
    出版:
    ナカニシヤ出版
  • 「鎮守の森の物語 - もうひとつの都市の緑」
    著者:
    上田 篤
  • 「照葉樹林文化の成立と現在」
    著者:
    田畑 久夫
    出版:
    古今書院
  • 「神道千年のいのり 春日大社の心」
    著者:
    花山院弘匡
    出版:
    春秋社
  • 「宮司が語る御由緒三十話 - 春日大社のすべて」
    著者:
    花山院弘匡
    出版:
    中央公論新社
  • 「長い旅の途上」
    著者:
    星野道夫
    出版:
    文藝春秋
Category :
  • text / photo :
    HAS Magazine
    HAS Magazineは、旅と出会いを重ねながら、それぞれの光に出会う、ライフストーリーマガジン。 世界中の美しい物語を届けてゆくことで、一人一人の旅路を灯してゆくことを目指し、始まりました。
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