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2023.5.5
[ 第4章 ]

水の都・大阪の
知と美の記憶を求めて

Wisdom
of Osaka
Wisdom of Osaka
第4章
Wisdom
of Osaka

水の都・大阪。
かつて大阪は「アドリア海の女王」とも称されたイタリアが誇る水の都「ヴェネツィア」を見立て「東洋のベニス」と謳われた。

都市の中を網の目のように張り巡らされた水路。
その水路を人々が行き交いながら描かれる美しい都市の風景。
それはまさに日本が世界に誇る「水の都」であった。

そんな水の都・大阪の多様な物語を辿りながら、大阪の町に息づく「知」と「美」の記憶を紐解いてゆく「水の都・大阪の知と美の記憶を求めて」。

全5話の4話目となる「第4章」のタイトルは、「曽根崎の森の中で」。
今回の物語では、大阪商人が育んだ「知」の源泉となった町人文化の中心を担った、ある一人の作家の物語を辿ってゆく。

第4章
曽根崎の森の中で
Forest
of Sonezaki
Forest
of Sonezaki

美の記憶を辿る旅へ

知の背景に流れる文化

大阪の自由な都市の風土が育んだ独立自営の精神。
その中で様々な商人が数多くの失敗を重ねながら、栄枯盛衰を繰り返し、紡いでいった「知」の記憶。
それは現実の社会を教科書に育まれた「知」であった。

だが時代ともに消え去ってゆく「知」ではなく、簡潔な言葉の中に深い意味を宿し、時代を越える「知」の記憶となっていったのは、なぜなのだろうか。

その手がかりは、そんな「知」の記憶が育まれた時代の背景に流れていた、ある文化に隠されていたのだ。

長い戦国時代が終わりを迎え、平和な江戸時代の到来によって商業都市として大きく発展していった「水の都・大阪」。
その発展の担い手となったのは、貴族でも、武士でもなく、都市に住む無名の町人たちであった。
そうした町人たちによって、あるひとつの文化が生み出される。

その文化とは「元禄文化」。
大阪や京都で暮らす町人を中心にして育まれた文化だ。
これまでの時代にはない多様な文化が花開き、町人の暮らしを題材にした様々な作品が作られた。

そして、その作品の作り手の中には、時代を越え、今なお語り継がれる作家たちがいたのだ。

大阪で暮らした作家たち

町人たちによって育まれた「元禄文化」。
その担い手となった、ある代表的な三人の作家を紹介したい。

一人目は、「俳句」を芸術にまで高めた俳諧師の「松尾芭蕉」。
二人目は、人形を用いた演劇「人形浄瑠璃」を通して、町人の社会を舞台に作品を描いた「近松門左衛門」。
三人目は、町人の暮らしを題材に物語を紡ぐ「浮世草子」という小説の形式を生んだ「井原西鶴」。

それぞれの人物に共通しているのは、人々の何気ない暮らしの出来事から着想を得て、作品を生み出したことである。
その中でも「近松門左衛門」と「井原西鶴」は、実際に大阪の町で暮らしていた。
町人たちの暮らしぶりを間近に眺め、その体験をもとに数々の作品を発表したのだ。

そんな彼らの歩みの中に、時を越える「知」を育む源泉となった「美」の記憶へと繋がる物語が流れていたのである。

浄瑠璃への歩み

芸能との出会い

まずはじめに「人形浄瑠璃」の世界において、数多くの作品を残した近松門左衛門の足跡を辿りながら、彼の物語を紡いでゆきたい。

1653年、近松門左衛門は、現在の福井県である越前国に生まれる。
本名は、杉森信盛と言った。
近松門左衛門とは、彼が作家活動を始めてからのペンネームであったのだ。

父は福井で武士をしていたが、彼の少年期に越前国を離れ、武士を辞め浪人となる。そして、浪人となった父と共に家族は、京都へと移住。
京都に移った後に、彼は幾つかの公家に仕えるようになったという。

そして、その奉公を通して、貴族社会を垣間見ながら多様な文化と触れ合う中で、彼は浄瑠璃の世界に出会うことになる。

その後の彼の歩みは、明確には残されていない。
しかし、20代前半頃に浄瑠璃作家として生きてゆくことを決意し、全く異質の芸能の世界に足を踏み入れたと言われている。

古来日本では、芸能に携わる者に対して厳しい身分差別がなされていた。
そして、その差別意識は当時も変わることがなく、人々の間に流れていたという。
彼が志した芸能の世界の人々は、河原乞食として一般社会からの蔑視を受け続けていたのである。

決断の意味

武士の家に生まれ、父の浪人後も、上流の公家社会の周辺を生活圏としていた、近松門左衛門。
そんな彼が選んだ芸能界入りの行動は、当時の社会常識から考えれば、全くもって信じられないような決断であった。
その行動は、社会の上層から一気に最底辺へと転落することを意味する、無謀極まりない決断として周囲に理解されていただろう。

彼は、あらゆるものを投げ打って浄瑠璃への道を歩み出したのである。
そうして歩み始めた道は、ただでさえ異端な道であったのだが、そんな彼が志望していたのは演者ではなく作家であった。
作家という立場は、演者を支える陰の存在として、さらに地位が低かったというのだ。
そんな社会の中で、彼が味わったであろう苦労は並大抵ではなかっただろう。

だがしかし、彼は多くの辛酸を舐めながらも決して諦めることはなかったのだ。
様々な苦難に耐え抜きながら、最終的には同時代を代表する作家にまでのぼり詰めたのである。

曽根崎の記憶

ある二人の恋物語

少しづつその名を確かなものにしつつあった、近松門左衛門。
30代に入り、大阪での公演を手掛けるようになり、40歳で大阪のある商家の女性と結婚。
そして、時間をかけ少しづつ実績を重ねてゆきながら、50歳の時に彼の代表作として語り継がれてゆくことになる、ある作品を発表する。

その作品の名は「曽根崎心中」。
「曽根崎心中」は、当時の大阪で起きた、ある心中事件を題材にして描かれた。
当事者となったのは、大阪に住む若い男女。

登場人物は、ある醤油屋で奉公していた25歳の「徳兵衛」と北新地で遊女をしていた21歳の「お初」。二人は、共に愛し合う恋仲であった。
そんな徳兵衛の仕事ぶりは、誠実そのもの。
そのため主人から信頼を得て、縁談の話が持ち上がるのだが、徳兵衛は、愛するお初の存在を理由に断り続けていた。

その後も徳兵衛の固い意志は決して変わることなく、ついに主人は腹を立て、なんと徳兵衛に勘当を言い渡すことに。

さらにそれだけでなく徳兵衛は、主人が勝手に相手方の家に贈っていた結納金を返せとまで言われてしまう。
徳兵衛は、なんとかそのお金を工面するのだが、信頼していた友人に騙され全額を失ってしまうのだ。

様々な不運が重なってしまい、どうしようもなくなってしまった徳兵衛は、最期にお初のもとを訪れ、死を持って償う意志を伝える。
するとその想いを耳したお初は、自らも共に死ぬことを決意する。

そうして二人で真夜中に曽根崎の森に向かい、徳兵衛は震えながらも短刀でお初の命を奪い、終に返す刃で自らの命をも絶ったのである。

若さゆえのあまりに、あまりに悲しい恋物語である。
それまでの「浄瑠璃」は、伝説や伝承をもとに描かれるものであった。
「曽根崎心中」のように、一般の人々の間で起きた事件を題材にすることは初めてのことであったのだ。
まさに新しい時代を切り開く作品を作り出したのである。

そうしてこれまでにない新しい価値観を社会に届けた「曽根崎心中」は、多くの人々の心を掴み、絶賛されたのである。
その人気ぶりは当時彼の所属していた劇団の借金を全て返してしまったほどだとも伝えられている。

そして、その人気の裏側には、文化の担い手が上流階級の人々から町人へと確実に移り変わりつつあるという大きな時代の流れがあったのだ。

曽根崎に込めた想い

その後も近松門左衛門は、町人を題材にした数々の作品を発表してゆく。
彼の描いた主人公の多くは、愛すべき人物でありながら、どこか不器用で、それゆえに破滅的な道を選んでしまう人々であった。

それは人の愚かさを認めながらも、愚かで不器用だからこそ愛おしいのだという彼の想いが込められていたのかもしれない。
代表作である「曽根崎心中」は、決して美しい恋という言葉だけでは語れない、やり切れなさや悲しさ、また世間を知らない愚かさもまた描かれている。

その死に際の描写も、耳を覆いたくなるような無惨なもので、決して心中ということを賛美したものとも思えない。
ともすると救いようのない事件であるとも言えるだろう。

ある面では、そうした負の側面を認めながらも、それでも二人の中に流れる純粋さを作品を通してすくい上げてゆくとことで、救いようのない二人の悲しみを美しさとして昇華したのではないだろうか。

それは一般的な道徳観や倫理観では、決して推し量ることの出来ない考えである。
それはまた杓子定規ではない美学とも言えるかもしれない。

そして、その作品を見て感動した多くの町人の中に、それまでにはない新たな価値観が芽生えていったのではないだろうか。
その価値観は、世間の常識に捉われない自由な発想を生む源泉として、大阪の商人の中にも息づいていったのだと。

そして、近松が作品を通して描いた世界は、ひとつの問いであったのだとも思う。
正しさとは、常識とは、人を愛するとは何なのかを作品を通して、多くの人々に問いかけたのだと。
それは、善と悪、美と醜といった簡単な二元論では決して片付けることの出来ない、人間の持つ矛盾さを描いた複雑な問いであった。

だからこそ、新たな価値観を手に人々は思考を重ねてゆくことになった。
その思考の積み重ねが大阪商人の普遍的な「知」の記憶を育んでゆくことに繋がっていったのではないだろうか。

そんな杓子定規ではない美学が大阪の町で育まれつつあったのだ。
そして、近松門左衛門が様々な作品を通して新たな価値観を大阪の人々に届けたように、もう一人の作家である井原西鶴も多様な作品を通してもうひとつの価値観を届けてゆくのである。

■ 第5章 : 「映し出された記憶」へ続く」

Reference :

  • 「大阪商人」
    著者:
    武光誠
    出版:
    ちくま新書
  • 「水都大阪物語」
    著者:
    橋爪紳也
    出版:
    藤原書店
  • 「商いの精神」
    著者:
    西岡義憲
    編集:
    大阪府「なにわ塾」
    出版監修:
    教育文化研究所
  • 「市民大学の誕生」
    著者:
    竹田健二
    出版:
    大阪大学出版会
  • 「懐徳堂の至宝」
    著者:
    湯浅邦弘
    出版:
    大阪大学出版会
  • 「日本永代蔵」
    著者:
    麻生礒次 / 富士昭雄
    出版:
    明治書院
  • 「西鶴に学ぶ 貧者の教訓・富者の知恵」
    著者:
    中嶋隆
    出版:
    創元社
  • 「上方文化講座・曽根崎心中」
    著者:
    大阪市立大学文学研究科「上方文化講座」企画委員会
    出版:
    和泉書院
  • 「石田梅岩 - 峻厳なる町人道徳家の孤影」
    著者:
    森田健司
    出版:
    かもがわ出版
  • 「AD・STUDIES vol.5 2003」
    発行:
    財団法人 吉田秀雄記念事業財団
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  • text / photo :
    HAS
    HASは、多様な美しい物語を紡いでゆくことで「物語のある暮らしを提案する」ライフストーリーブランド。ライフストーリーマガジン「HAS Magazine」のプロデュース、デザインスタジオ「HAS Couture」を手掛ける。
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