悠久の時を紡ぐ
京都・宮川神社の縁を辿って
京都・宮川神社の縁を辿って
Shrine

Shrine
京の奥座敷とも称される、京都・亀岡市。
亀岡市へは、京都市内から電車で一本。
わずか30分ほどの列車の旅で辿り着く。
列車に揺られ、いくつものトンネルを抜けると車窓からの景色は一変する。
目の前に広がるのは、周囲を取り囲む山々と田園風景。
京都市内の喧騒を忘れさせるような自然豊かな風景と穏やかな時間が流れ始める。
そんな風景を横目に眺めながら、さらにバスに揺られること数十分。
周囲を田畑に囲まれた小さな田舎町、宮前町にたどり着く。
その宮前町の町外れには、山の麓の森に抱かれながら古の時を静かに刻み続ける、ある神社がある。
その神社の名前は、宮川神社。
木々の間から降り注ぐ木漏れ日と小川のせせらぎに包まれたこの場所は、まるで時の流れからこぼれ落ちてしまったかのような不思議な空気に包まれていた。
そんなこの場所に流れる物語に耳を澄ましてゆくと、あるひとつの縁にたどり着いたのであった。
それは、ある聖なる場所へと繋がってゆく、深い縁(えにし)。
そんな宮川神社の物語を紐解きながら、この場所で紡がれて来た悠久の縁を辿ってゆきたい。
- text / photo HAS
Story
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古の信仰が宿る場所
宮川神社が位置する亀岡市は、その昔「丹波国」という名で呼ばれていた。
その歴史は古く、2000年以上も昔から中国大陸と往来があり、独特の文化を育んでいたという。
その事実を証明するように亀岡市内には、幾つもの磐座(いわくら)を祀る神社が存在する。
磐座とは、古代の人々が信仰の対象とした巨大な岩や石のことを言う。
現代の私たちが普段目にするような社殿や鳥居を持った神社が作られる以前、古代の人々は、自然物そのものに神を見出し、祈りを捧げていた。
つまり、そうした磐座を持つ神社は、必然的に数千年以上の時の流れをその内に秘めていることになるのだ。

そして、この宮川神社もまた古来から磐座を祀る神社であった。
実際に本殿の裏には、今もなお天を仰ぐほどの巨大な岩が祀られている。
さらに宮川神社は、延喜式内社の神社でもある。
「延喜式内社」とは、遡ること千年以上の前の西暦927年に日本全国の神社を記録したとされる「延喜式神名帳」に記載された神社であるということ。
そのことはまた、この神社に流れる、古から続く大いなる時の流れを私たちに教えてくれる。
そうした様々な事実に耳を澄ましてゆくと、この場所は古来からこの地に暮らした人々の間で、大切に祀られて来た神域であることを確かに伝えてくれるのだ。

創建の記憶を辿って
様々な歴史的な事実が証明するように宮川神社の創建は古い。
今から遡ること1300年ほど前、西暦701年から704年の間に創建されたと伝えられる。
かつて奈良にあった都・平城京を守護し、繁栄を祈るために建てられた春日大社の創建が西暦768年。
春日大社は、今を生きる私たちにとっても馴染み深い古社のひとつではないだろうか。
しかし、この宮川神社の創建は、春日大社の創建から遡ること60年前には既に、この地で祀られていたのである。
まさに悠久の時を秘めた古社のひとつであると言えるだろう。

この神社で祀られている神々は、伊賀古夜姫命と誉田別命の二神。
創建の起源は、現在の宮川神社が位置する山、神野山(現在は神尾山と呼ばれる)
の山頂に伊賀古夜姫命を鎮めたことが起源と伝えられる。
その後、九州・大分にある八幡信仰の総本社・宇佐八幡宮で祀られる神・誉田別命の分霊をこの地に呼び寄せたことから、二神が祀られることになったという。
そんな宮川神社の創建の起源となった神「伊賀古夜姫命」。
伊賀古夜姫命は、その名前に姫という文字が付く通り、女性の神である。
そんな彼女が辿った運命を辿ってゆくと、ある聖なる地へと繋がる縁が隠されていたのであった。
その運命の物語は、この地に残された物語と失われたある書物の中で紡がれていたのである。

失われた書物
その失われた書物とは「山城国風土記」。
「風土記」とは、奈良時代の日本にあった約60余りの国々のそれぞれの地域の文化や風土、生産品、伝承などをまとめた地誌のこと。
そして、宮川神社にまつわる物語が紡がれていたのは、現在の京都府南部一帯にあたる地域「山城国」についての様々な情報をまとめた「山城国風土記」であった。
「風土記」は、さかのぼること1300年ほど前、奈良時代が始まって間もなくの西暦713年頃に作られたと言われている。
同じ時代に作られ、今に残る貴重な歴史書としては、「古事記」と「日本書紀」がより広く知られているのではないだろうか。

「古事記」の制作の意図は、日本の神話を辿りながら天皇家の歴史の正統性を国内に向けて伝えること。
そして「日本書紀」は、日本という国自体の成り立ちを国外に向け伝え、国としての威信を知らしめることを目的としていた。
それらの歴史書に対し、「風土記」の目的は、地域の歴史や文化をまとめることであったのだ。

受け継がれた物語の記憶
同時代に次々とそうした書物が生まれた背景には、当時始まりつつあった律令国家としての構想を実現するためだと言われている。
「律」という現代でいう法律と「令」という政治の仕組みを定め、それまで様々な氏族が地方に散らばっていた日本という国を統一し、中央集権的に統治するという壮大な野望を託され、紡がれたのである。
しかし、現在も残る「古事記」や「日本書紀」とは対照的に、当時紡がれた各地の「風土記」の中で現在書物として現存するのは、常陸・播磨・出雲・豊後・肥前の5カ国のみ。
宮川神社についての物語が紡がれている「山城国風土記」は、長い時の流れの中で失われてしまったのだ。

だがしかし、その書物の中で紡がれた物語の記憶は決して消えることはなかった。
様々な書物の中で引用されながら、断片的ではあるが、時を越え語り継がれていったのである。
そうして様々な人々によって受け継がれていった物語の記憶の中に、聖なる地へと繋がる古の縁が描かれていたのである。
宮前町に残された物語、そして受け継がれた物語の記憶を紐解きながら、その聖なる縁を辿ってゆきたい。
( ■ 中編「ある一族の記憶」に続く )
- text / photo HAS
Reference :
-
「宮前町のしおり(2019年作成)」
- 発行:
- 宮前町自治会
-
「丹波物語」
- 出版:
- 国書刊行会
- 著者:
- 麻井 玖美、角田 直美
-
「出雲大神宮史 : 丹波國一之宮」
- 出版:
- 出雲大神宮社殿創建千三百年大祭記念事業奉賛会
- 著者:
- 上田正昭 監修・編纂委員長
- 編集:
- 出雲大神宮史編纂委員会
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text / photo :HASは、多様な美しい物語を紡いでゆくことで「物語のある暮らしを提案する」ライフストーリーブランド。ライフストーリーマガジン「HAS Magazine」のプロデュース、デザインスタジオ「HAS Couture」を手掛ける。