[ 詩人 ]
愛を紡いだ詩人
カリール・ジブラーン
Kahlil Gibran
カリール・ジブラーン
愛を紡いだ詩人
日本において、彼の名を知る人は少ないかもしれない。
だが彼の生み出した数々の作品は、彼の出身地でもあるアラビア諸国を中心に、アメリカ、ヨーロッパ、南米から中国まで、幅広い国々で今なお多くの人々を惹きつけてやまない。
事実、彼の主著として知られる『預言者』は、世界30数ヵ国語に翻訳され、これまでに2000万人以上の人々に読まれて来たと言われている。
そんな彼の作品には、深い思索と信仰心に支えられた、哲学的で宗教的な色彩を帯びた、普遍的な愛の言葉が宿っている。
苦難の記憶
ジブラーンは、1883年、レバノン山間部にある、ビッシャリという村で生まれた。ビッシャリとは「聖なる谷」という意味を持つ。
その生活は、貧しく苦しかったと伝えられている。
その後、11歳の時に母と共に、先に渡米していた兄を頼ってボストンへと移住。その間に英語を習得する。
しかし、15歳になると、再び故郷のレバノンに帰国。ベイルートの学校に留学する。そこでアラビア語を修め、フランス・ロマン派の芸術とアラビア文学を学んだ。
その一方で、家庭環境は思わしくなかった。
彼の父親はアルコール依存症になり、失業状態に。生活は困窮した。
その生活を建て直すために、再びアメリカへの渡米を決意する。
まさに運命の悪戯に翻弄されるように、異文化の狭間を漂う中で、彼自身の思索は深められていった。
深められた記憶
1902年にアメリカに戻ると、彼の作家としての活動を支える運命の出会いを果たす。学校教師のメアリー・ハスケルは、彼のスポンサー、共同製作者に。
その後、さらに学びを深めるために、移住したフランス・パリでは、彫刻家ロダンのもとで彫刻を学んだ。
様々な出会いに恵まれたジブラーンは、1923年、40歳の時に代表作となる「預言者」を出版。
出版後、瞬く間に評判となり、当時としては記録的な1ヶ月で1万3000部を販売する。後に彼は、この本について「私の魂が考えることのできた最高のもの」と語っている。
作品の原型は、彼の十代の時の草稿がもとになり、十年以上の推敲が重ねられたという。
多様な文化の狭間で深められた少年時代の思索が、多くの出会いによって磨かれることで、この作品は生まれたのであった。
その後、いくつかの本を出版するのだが、1932年に病のために帰らぬ人となる。
ジブラーンの遺骨は、彼の意志を汲み、生涯愛して止まなかった誕生の地、レバノンに静かに葬られた。
- text HAS
Reference :
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「人の子イエス」
- 著者:
- カリール・ジブラーン
- 翻訳:
- 小森健太朗
- 出版:
- みすず書房
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「よく生きる智慧」
- 主著:
- カリール・ジブラーン
- 翻訳:
- 柳澤桂子
- 出版:
- 小学館
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