[ 神社 ]
青々とした光が宿る
高知・潮江天満宮
Ushioe Shrine
高知・潮江天満宮
青々とした光が宿る場所
気持ちの良い朝の光を感じながら、高知市内の中心部から高知城を背に天神橋通りを南へ歩くこと10分程。
目の前には、「鏡川」と呼ばれる市内を縫うようにして流れる、大きな川が広がる。
街中を流れる川でありながら水質は美しく、土佐藩の第五代藩主であった山内豊房は、「我が影を映すこと鏡の如し」とその美しさを讃え「鏡川」と名付けたという。
その川を越え、すぐ右手を見渡せば、目の前には木々が立ち並ぶ、長い参道を持つ神社が広がる。
青々とした光を宿した木々からは朝の光が零れ落ち、そこには街の近くとは思えないほどの穏やかな時間が満ちているのだ。
この神社の名前は、潮江(うしおえ)天満宮。
創建は905年。
1000年以上もの時を持つ、高知を代表する歴史ある古社のひとつである。
亡き父への想い
創建のきっかけとなったのは、学問の神様として知られる菅原道真。
彼は類稀な才能ゆえに権力争いに巻き込まれた末、京都から九州・大宰府へと左遷を命じられ、失意の内に命を落とした。
その彼の死後、京都では天変地異や不吉な出来事が重なったという。
非業の死を遂げた道真による祟りが原因だと考えた当時の人々が祟りを鎮めるために創建したのが太宰府と京都・北野にある天満宮であった。
道真の左遷は、彼自身だけでなく実の子にも及び、その内の一人であった菅原高視は、時を同じくして高知・潮江の地に左遷されてしまう。
息子の高視は、父の死後、道真の遺品であった剣と鏡を潮江の地で受け取ったという。
高視は、受け取った遺品を収め、その遺品に亡き父の深い想いを感じ取り、そこには亡き父の霊が宿っていると考えた。
そして、彼は、その遺品をご神体として定め、高知・潮江の地に潮江天満宮を創建したのである。
天満宮の起こりは、道真の祟りを鎮めるものとして知られることが多いかもしれない。
しかし、潮江天満宮には、実の子が在りし日の父を想う、深い愛情もまた宿っているのである。
幸せを運ぶ青い鳥
潮江天満宮を象徴するひとつの場所がある。
それは参道を抜けた先に厳かな佇まいで鎮座する、楼門。
高知市の保護文化財にも指定され、その圧巻とも言える楼門の大きさは訪れる人を圧倒する。
そして、細やかな意匠が施された木造の楼門の上には、ある鳥の彫刻が施されているのである。
その鳥とは、伝説の鳥として名高い「鳳凰」。
鳳凰は、中国の古い言い伝えに登場する伝説の鳥。
中国では古来、鳳凰は「平安をもたらす優れた皇帝が現れる時に姿を見せる縁起の良い鳥」とされてきたという。
その伝承は、中国だけでなく、日本、そして東アジア広域に広がり、各地で幸運の象徴として讃えられて来た。
そして、鳳凰は、その鳥の持つ色によって様々な意味を持つと考えられている。
潮江天満宮の楼門に座す、鳳凰は青色。
青い鳳凰は、別名「鸞」とも呼ばれ、古くから神聖な鳥として考えられて来たという。
ある伝承では、鳳凰が歳を経ると「鸞」になり、その「鸞」があらゆる鳥を生むとも考えられ、そのことから「鸞」は全ての鳥の源となる幸運の鳥として信じられて来たのだ。
この彫刻が施されたのは、創建から約1000年後の1850年頃。
当時、高知の地で二大彫刻家の一人として尊敬を集めた、木彫師・島村安孝の手によって彫られたという。
彼は、木彫りだけでなく、茶道、生け花、一弦琴まであらゆる芸に優れた才を発揮したと伝えられるが、その生涯は明らかではない。
だが今なお日本屈指の大きさを誇ると言われる、この「鳳凰」の彫刻が生まれた背景には、当時の人々の潮江天満宮への深い信仰があったことは確かだろう。
潮江天満宮の楼門に座す、青い鳥。
明治の幕開けを目前にして生まれたこの鳥は、新しい時代の象徴として高知の地を今も見守り続けていた。
きっとその青い翼は、この先の1000年も訪れる人に幸運を運び続けてくれるのだろう。
- text / photo HAS
Information :
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潮江天満宮
address : 〒780-8012 高知県高知市天神町19−20url : www.ushioe-tenmangu.jp
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