奈良・春日野と
聖なる森の月夜
聖なる森の月夜
in Nara
in Nara
この都市には、遥か古の時代から大切に守り継がれて来た森がある。
その森の名は「春日山原始林」。
太古の自然を今に残す貴重な森として、世界遺産にも登録されている森だ。
奈良・春日大社の後方に佇む、御蓋山の中にあるこの森は、神が宿る聖なる森として1100年以上もの昔から特別な祭祀を除き、人々の入山が禁止されて来た。
そんな遥かなる時を宿す、聖なる森の記憶を辿ってゆくと、あるひとつの記憶に辿り着いた。
それは、かつて古の人々が紡いだ人と自然の共生の記憶。
その記憶は、様々な環境問題に直面する、今の地球に生きる全ての人々にとって指針になりうる大いなる記憶であったのだ。
そんな遥かなる時を宿す、古の森の記憶を辿ってゆく、「奈良・春日野と聖なる森の月夜」。
中編の題名は「煌びやかな文明の影」。
今回の物語では、煌びやかな光を纏うように大きな発展を遂げた文明の光と影の記憶を辿ってゆく。
- text / photo HAS
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[ 序章 ]彼方の月夜を眺めて
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[ 前編 ]聖なる森の記憶
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[ 中編 ]煌びやかな文明の影
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[ 後編 ]無窮に繋がる生命
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[ 最終編 ]世界を繋ぐ森の記憶
of Civilization
of Civilization
文明の輝き
「春日山原始林」の深い森の中に秘められた、縄文人の「森の思想」。
それは森の民として、森と共に生きた自然との共生の記憶であった。
彼らが築いた文化は、一万年という途方もない時間を維持し続けた、人類史上でも稀に見る持続可能な社会でもあった。
そんな自然と調和した社会が日本で育まれていた同じ時代に、遥か海の彼方のユーラシア大陸では、世界四大文明と称される文明が興隆し始めていた。
それはメソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、中国文明など大きな川のほとりで発展を遂げた、農耕に基盤を置く古代文明であった。
歴史の教科書を紐解くと最初に私たちが出会う、それらの文明は、誰もが一度は耳にしたことがある文明ではないだろうか。
それぞれの場所では、独自の文化が育まれ、文字による伝達も行われ、富の蓄積が行われた。
それによって生まれた大きな都市を中心に、それぞれが高度な文明を華開かせた煌びやかな文明であった。
それらは現代の社会のルーツとなる文明でもあった。
そうした文明に比べると、日本で育まれた縄文文化は、古代文明のような輝きはなかった。
深い森の中で、森からもたらされる恵みを便りに、自然と分かち合うように生きた彼らには、富の蓄積も、輝かしい都市もなかったのだ。
だがしかし、煌びやかな光を纏うように急速に発展を遂げた古代文明は、その内に大きな矛盾を持つ文明でもあったのだ。
文明の光と影
歴史の中で燦然と輝く、それぞれの文明は、ある意味では強烈とも言える階級社会によって作り上げられていた。
農耕技術の発展に伴い、生産力が向上し、富が蓄積されるようになると、その富の大小によって身分の差が生まれるようになる。
そして、その結果として必然的に権力者と呼ばれる人々が登場する。
彼らは、後に王となり、その強力な権力を持って強大な都市を築き上げてゆく。
そうした都市で華開いたのが、世界四大文明とも称される文明であった。
そして、その大きな都市を維持してゆくためには、大きな農業生産力が必要であったのだ。
その急速な都市社会の発展の中で、人々の自然への意識もいつの間にか変化していった。
かつては自然の恵みによって生かされ、その自然と調和することによって営まれていた暮らしは、自然をいかにコントロールし、その中でより大きな恵みを得るかという意識へと変化していったのだ。
それぞれの文明は、自然の再生と調和の思想から離れ、森林破壊という側面を根底に持つ、大規模な農耕と大型家畜を生産の基盤とした。
大量の生産物を供給するための農地の開墾は、森林を破壊することになり、大型家畜を育てる畜産も放牧のための広大な土地が必要なため、森林破壊に繋がってしまったのだ。
そのため時代が進むにつれて、徐々に自らの文明を支えていた母なる土地である森をも食いつぶし、最終的にはどの文明も滅亡の一途辿ってゆくことになるのである。
そうした文明が抱えた問題は、ある意味では現代社会が抱える問題と重なり合うものがあるのではないだろうか。
そこには科学や技術の発展が人間の意識の中にもたらす、自然に対する意識の変化があったのだ。それは現代の科学技術が発展した社会の根底に流れる「自然観」のルーツと言えるものかもしれない。
そして、その「自然観」は、近代科学の目覚ましい発達をもたらした西洋文明によって、大きく育まれていったのである。
西洋文明の自然観
現代の都市社会を支える、科学技術文明。
この文明は、未だかつてないほどの力を人々に与え、人口の増加をもたらし、煌びやかで豊かな暮らしを私達にもたらした。
現代の私たちの暮らしを支えるパソコンやスマートフォンも、この文明なしには生まれなかったかもしれない。
そして、この科学技術文明が生まれたのは、世界四大文明から連綿と続く文明の系譜の先にある西洋社会においてであった。
その発展の背景には、西洋社会の中で育まれた、あるひとつの「自然観」が大きな鍵となったのだ。
西洋の「自然観」は、西洋社会の思想に大きな影響を与えた、キリスト教の世界観の中で育まれていった。
その世界観の中では、まずその中心に「神」がいる。
その「神」は、この世界を創造した「唯一の神」であり、その神以外、世界には神は存在しない。
そして、その神が最初に創造したのが、他でもない「人間」なのだ。
それから神は、生み出した人間のために「自然」を作り出したという。
そうして、そのキリスト教が描いた世界観の中で、「神から人間、人間から自然」という「人間」と「自然」の縦の関係性を背景にした「自然観」が西洋社会の中で育まれていったのだ。
そのため、この西洋的な自然観のもとでは、人は自然に鋭いメスを入れ、分析する権利を与えられていると考えられたのだ。
こうした自然観が、あらゆる自然現象の客観的な分析に繋がり、結果として近代科学の発達を促した。
そうした人々の自然への意識こそが今日の科学技術文明を発展させる、大きな力となったのである。
失われた光
だがそうして育まれた文明は、かつての古代文明がそうであったように、常にあるひとつの矛盾を持っているのだ。
それはあくまで人間を中心に据えた「自然観」であるため、自然との一方的な関係性を結んでしまう側面を持つこと。
「自然」は、決して無尽蔵に人々に恵みを与えるものではない。
しかし、その「自然観」の中では、自然の脆さ、自然の限界、自然の再生の力を想うことなく、人間の発展の速度に合わせて、自然からの恵みを得てゆくことになる。
その姿は、人間から自然に対する一方的な搾取とも表現出来るかもしれない。
自然の再生を想えば立ち止まる必要がある時も、止まることなく、むしろその歩みの速度を早めていってしまうのだ。
そのため、そうした「自然観」を持つ文明は、短い期間で眩いばかりの輝きを放ちながら発展してゆく。
だが、人間の自然に対する搾取が自然の許容量の限界を超えた時に、必ず行き詰まってしまうのだ。
それは歴史が証明する事実である。
かつての古代文明がそうであったように、西洋文明の母体となったギリシアやローマ文明も同じ道を辿っている。
その二つの文明が残したものは、人々を魅了する煌びやかな文化と共に、都市の周囲には、もう二度と自然を宿すことが出来ないほどに疲弊した、はげ山だった。
そして、その文明の命の源であった母なる自然が失われた時、都市の輝きは失われ、必ず文明は滅んでゆくのだ。
新たな時代の光
これまで生まれては消えていった数々の文明が発展の中で破壊した自然は、かつてはその文明が生まれた都市とその周辺に限られていた。
だがしかし、現代の私たちが生きる国際社会では、対象とする自然の範囲は、地域や国を越え、地球全体に及んでいることは言うまでもないだろう。
そして、現代の科学技術文明もまた、その内には自然からの一方的な搾取という側面を秘めた文明であることも、確かな事実ではないだろうか。
そしてまた、私たちが今まさに輝きを享受する、西洋文明を起源とする科学技術文明の繁栄の歴史も実際のところ、15世紀から20世紀前半までの、わずか500年足らずの歴史にしか過ぎないのだ。
それは縄文時代の一万年の歴史を想えば、いかに短い期間であるかを感じることが出来るのではないだろうか。
だからこそ、いつの日か地球が持つ自然の許容量を越えてしまった時、私たちの文明は、崩壊の一途を辿ってしまうのかもしれない。
それは変わりゆく地球環境に耳を澄ますと、その足音は確実に大きくなって来ていることを感じる。
だが、それは決して止めることの出来ない歩みではないのかもしれない。
私たちが今生きる文明の根底にある「自然観」を、新たな時代にふさわしいものへと入れ換えることが出来れば、崩壊への歩みを止め、新たな未来を描くことが出来るのではないだろうか。
そして、その新たな時代の「自然観」を描くための大きな鍵を握っているのが、聖なる森「春日原始林」に宿る、古の人々の「森の思想」を育んだ「自然観」に他ならない。
その「自然観」には、現代の西洋文明に流れる自然観にはない、彼ら独自の「自然観」があったのだ。
- text / photo HAS
Reference :
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「日本という国―歴史と人間の再発見」
- 編集:
- 梅原猛
- 編集:
- 上田正昭
- 出版:
- 大和書房
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「森の日本文化 - 縄文から未来へ」
- 著者:
- 安田喜憲
- 出版:
- 新思索社
-
「鎮守の森 - 社叢学への招待」
- 著者:
- 上田正昭
- 出版:
- 平凡社
-
「照葉樹林文化 - 日本文化の深層」
- 編集:
- 上山 春平
- 出版:
- 中央公論新社
-
「照葉樹林文化論の現代的展開」
- 著者/編集:
- 金子 務
- 著者/編集:
- 山口 裕文
-
「世界遺産 春日山原始林 -照葉樹林とシカをめぐる生態と文化-」
- 編集:
- 前迫ゆり
- 出版:
- ナカニシヤ出版
-
「鎮守の森の物語 - もうひとつの都市の緑」
- 著者:
- 上田 篤
-
「照葉樹林文化の成立と現在」
- 著者:
- 田畑 久夫
- 出版:
- 古今書院
-
「神道千年のいのり 春日大社の心」
- 著者:
- 花山院弘匡
- 出版:
- 春秋社
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「宮司が語る御由緒三十話 - 春日大社のすべて」
- 著者:
- 花山院弘匡
- 出版:
- 中央公論新社
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「長い旅の途上」
- 著者:
- 星野道夫
- 出版:
- 文藝春秋
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text / photo :HAS Magazineは、旅と出会いを重ねながら、それぞれの光に出会う、ライフストーリーマガジン。 世界中の美しい物語を届けてゆくことで、一人一人の旅路を灯してゆくことを目指し、始まりました。About : www.has-mag.jp/about
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