愛を紡いだ詩人
カリール・ジブラーン
Kahlil Gibran

カリール・ジブラーン(1883年 〜 1931年)は、レバノン出身の詩人・画家。
日本での知名度は決して高くないが、宗教的で、哲学的な香りを漂わせる彼の作品は、アラビア諸国だけでなく、アメリカ、ヨーロッパ、南米、中国まで幅広い国々で、今なお多くの人々に親しまれている。
特に主著である『預言者』は、世界30数ヵ国語に翻訳され、これまでに2000万人以上の人々に読まれて来たと言われている。
そんなジブラーンは、1883年、レバノン山間部にある、聖なる谷という意味を持つ、ビッシャリという名の村で生まれた。
父の名は、ハリール、母はカミラ、兄が一人と姉が一人、そして妹が一人いた。
レバノン国民の多数はイスラム教徒であったが、ジブラーンの家は原始キリスト教の流れを汲む、マロン派を信奉していた。
生活は、貧しく苦しかったという。
その後、11歳の時に、母親と共に、先に渡米していた兄を頼ってボストンに移住する。
この地で学校に入学するも、1898年には、レバノンに帰国し、ベイルートの学校に留学。
そこでアラビア語を修め、そこでフランス・ロマン派の芸術とアラビア文学を学ぶ。
1902年に、再度アメリカに渡ることになるのだが、彼が到着する前に姉が結核で亡くなり、続いて兄が亡くなり、母親が癌で亡くなるという、立て続けの悲劇に苛まれる。
突如として、末の妹とたった二人で異国の地で取り残されることになったのである。
しかし、学校の教師をしていたメアリー・ハスケルの出会いが彼の運命を大きく変える。
スポンサー、共同製作者として、ジブラーンを助けた彼女のサポートもあり、絵画、文章の両面において才能を発揮し始めていたジブラーンは、1905年「音楽」というアラビア語の詩を出版。
1908年には、パリに拠点を移し、「考える人」の彫刻で著名なロダンのもとで芸術を学び、1910年にはパリで、絵や彫刻を集め、個展を開催し、画集を出版。
その後、アメリカに戻り、ニューヨークに移住。
精力的な制作を続け、毎年個展を開催、詩や文章を発表する。
そのことで画家、文筆家としての名声は開花し始めるのだが、健康が徐々に悪化しはじめる。
そして、1923年に主著である「預言者」が出版。
好評を博し、なんと一ヶ月で1万3000部を売り尽くしたと言う。
この本のことを、彼は「私の魂が考えることのできた最高のもの」と語っている。
そう語る「預言者」で綴られた文章は、十年以上も推敲に推敲を重ねたといわれている。
ジブラーンを援助したメアリーも「この本は英文学の宝物としての位置を保ち続けるであろう。時代を経ることによって色あせることなく、時が経ち、人間が成熟するにつれ、この本の価値がよりよく理解されるようになるであろう」と称賛したという。
その後、いくつかの本を出版するのだが、1932年に肝障害と結核のために帰らぬ人となってしまう。
そして、ジブラーンの遺骨は、彼の意志を汲み、生涯愛して止まなかったという、誕生の地であるレバノンに静かに葬られた。
そんな彼の紡いだ数々の作品は、宗教的な気高さとともに、誰をも受け止める深い愛に彩られているのだ。
Reference :
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「人の子イエス」
- 著者:
- カリール・ジブラーン
- 翻訳:
- 小森健太朗
- 出版:
- みすず書房
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「よく生きる智慧」
- 主著:
- カリール・ジブラーン
- 翻訳:
- 柳澤桂子
- 出版:
- 小学館
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text :HASは、多様な美しい物語を紡いでゆくことで「物語のある暮らしを提案する」ライフストーリーブランド。ライフストーリーマガジン「HAS Magazine」のプロデュース、デザインスタジオ「HAS Couture」を手掛ける。