滋賀・近江上布
受け継がれる白の記憶
受け継がれる白の記憶
Omijofu
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この地には600年もの時を越え、変わることなく受け継がれて来た、ある麻織物の伝統が残されている。
その織物とは、「近江上布」。
気の遠くなるような時間をかけ、すべての工程が手作業で行われる、繊細で美しい麻織物だ。
そんな連綿と続く織の記憶を紐解いてゆく「滋賀・近江上布 受け継がれゆく白の記憶」。
後編となる今回の物語では、消えかけた伝統の光を未来へと繋いだ、ある人々の物語を辿ってゆきたい。
- text / photo HAS / Hiroaki Watanabe
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[ 序章 ]幾重もの糸を紡いで
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[ 前編 ]手の記憶を辿って
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[ 後編 ]白の世界に導かれて
World
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Contents
失われし記憶
残された言葉
かつて江戸時代において、「高宮布」という名で一世を風靡した、滋賀湖東地域の最上級の麻織物。
その発展の背景には、滋賀の豊かな自然環境、陸上交通の便に恵まれた街道の存在、そして幕府の保護統制による高い品質管理があった。
しかし、江戸から明治への時代の移り変わりの中で、幕府は滅び、織物の品質を担保する保護統制も失われ、「高宮布」の価値は失墜してしまう。
戦後になり、失われた価値を取り戻すべく「近江上布」という新たな名前のもと再スタートを切るが、高度経済成長による安価な繊維製品の波に押され、「近江上布」のみならず日本全体の繊維産業は衰退の一途を辿る。
そんな時代の流れの中で、「近江上布」の伝統もまた風前の灯火となり、その存在すらも歴史の彼方へと消えようとしていた。
それは今から遡ること僅か14年程前。
2010年に至るまで続いたどん底とも言える時代だった。
当時「近江上布」が一体どんな織物なのかを買う人だけでなく、作り手である多くの職人までもが知らなかったというのだ。
それだけでなく、「近江上布」の価値を伝える役割を担うはずの伝統産業組合の人々もまた同じ状況だったという。
それは、まるで「近江上布」という言葉だけがただ宙に浮かんでいるような状態になってしまっていたのだ。
忘れられた伝統
そんな状況を引き起こした一因は、かつての「近江上布」の制作方法にあった。
かつて「高宮布」の名のもとに高品質の織物を大量に生産していた時代は、制作の過程は分業制だった。
一人一人の職人は、来たものをただ作るだけでよかった。
多くの職人は、それぞれの作業の先に一体どんな織物が生まれるのかを考える必要がなかったのだ。
実際にかつての繁栄の時代を知る、今は亡きある職人が語った言葉がある。
「工房に行ったら、なんや知らん、分からへんけど、この作業をしろって言われて意味も分からん作業を延々半年させられた。泣きながらやってた。この作業の意味も分からへん。どういうものがあってこれが活用されるが分からん。そうやれって言われて、ただひたすらやってたんや。」
かつては生産の効率を高めた分業制が「近江上布」の本来の作り方を人々から忘れさせる大きな要因となってしまったのだ。
それだけではない。
今は開かれた場所として、多くの来訪者を迎え入れる「近江上布伝統産業会館」も、当時はほぼ閉まっているような状態だったという。
その当時、この会館に勤めていたのは、たった一人の女性だけ。
その女性が所用で外出してしまうと、閉まったままとなってしまう。
そうした当時の状況は「近江上布」の辿って来た長い歴史の中でも、低空飛行のどん底のような状態だったという。
そんなあまりに厳しい時代に「近江上布伝統産業会館」の新たな職員として、ある一人の女性が仕事を始めることになる。
- text / photo HAS / Hiroaki Watanabe
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text / photo :HAS ディレクター / デザイナー。 神戸市出身 京都在住。
立命館大学産業社会学部在学中に、インディペンデントの音楽イベントの企画・運営に携わる。
卒業後は環境音楽の制作を開始。その後、独学でウェブ・グラフィックデザインを学び、2019年にHAS創業。
暮らしを灯す物語をテーマに、デザイン、言葉、写真、音楽を重ね合わせながら制作を行う。HAS : www.has-story.jp
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[ 序章 ]幾重もの糸を紡いで
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[ 前編 ]手の記憶を辿って
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[ 後編 ]白の世界に導かれて