ウジェーヌ・アジェと
パリの記憶
パリの記憶
Paris
Paris
後にその功績が認められ、近代写真の父とまで称されるのだが、生前に大きな評価を受けることはなかった。
そんなアジェの眼差しの先にある、古きパリの記憶を辿りながら、一人の写真家の歩んだ物語を辿ってゆく「ウジェーヌ・アジェとパリの記憶」。
前編の題名は、「古きパリに出会うまで」。
今回の物語では、アジェが古いパリの街並みを写真に収め始めるまでに辿った、数奇な運命の物語を紡いでゆきたい。
- text HAS
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[ 序章 ]ウジェーヌ・アジェとパリの記憶
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[ 前編 ]古きパリに出会うまで
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[ 後編 ]残された永遠の記憶
Old Paris
Old Paris
運命に翻弄された少年時代
アジェことジャン=ウジェーヌ・アジェは、1857年2月、フランス南西部ボルドーの近くにあるリブルヌという町に馬車の車体修理工の息子として生まれた。
葡萄畑が広がる農村地帯に点在する、静かな佇まいの町であった。
しかし、そんな彼が生まれ育った長閑な環境とは対照的に、アジェの少年時代は波乱に満ちていた。
幼くして、父は旅先のパリで命を落とし、母とも間もなく死別。
両親を亡くし、孤児となったアジェは、その後、祖父母に引き取られ、神学校に通うが中退。
そして、叔父の進めによって、船乗りの雑用係として働き始めるのだった。
後に近代写真の先駆者とも評される、アジェの人生の出発点は、写真はもとより芸術とも全く関係のない船乗りから始まるのだ。
そして、船乗りとしてアジェは、ヨーロッパの各地の港はもとより、南米のウルグアイ、なんとアフリカや東南アジアまで旅をしたという。
彼は、その航海の中で何を考えていたのだろうか。
10代後半の多感な時期である。
不運にも思える幼少期を過ごし、その青春時代を学友たちと語り合うのではなく、大海原を眺めながら、遥か異国の地への船旅を重ねる日々。
必然的に自らの内面と語り合う時間が増えていったのではないだろうか。
そして、数年間の仕事の後、幼い頃から翻弄され続けて来た運命にあらがうように、自らの意志で船乗りを辞め、自身の夢に向かって、歩み始めることになる。
これから青春の大部分を捧げることになる、役者への道へ。
そうアジェは、写真家ではなく、役者への道を志したのであった。
自らの夢に向かって
役者を志したアジェは、21歳でパリの国立演劇学校を受験。
一度目は不合格であったものの、決して諦めることなく、翌年も挑戦し、合格を果たす。
だが、苦労を重ね入学を果たした演劇学校であったが、なんと兵役のために間もなく中退を余儀なくされてしまう。
さらに不幸は続く、兵役を終えた24歳の頃、育ての親である祖父母が亡くなってしまい、天涯孤独の身になってしまうのだ。
しかし、それでもアジェは諦めることはなかった。
アジェは、繰り返される運命の荒波に決して屈することなく、役者への道を志し続けたのだ。役者に対する、よほどの強い想いがあったのだろう。
その後、苦労を重ねた末、やっとの思いで、旅まわりの劇団の役者としての道を掴み取る。
そんな様々な苦難を乗り越え、役者としての道のりを歩み始めたアジェだったが、その役者人生は決して輝かしいものではなかったという。
「ぱっとしない」「目立たぬ俳優時代」と形容される、厳しいものであった。
それゆえに日々の暮らしは、決して豊かとは言い難いものであった。
だが、そんな環境にもめげることなく、決して諦めることなく役者として歩み続けたのだった。
だがしかし、彼の夢は、またしても自分の意思に反して、突然の宣告によって幕を閉じることになる。
なんと所属していた劇団からクビを宣告されたのだ。
自らの運命に抗うように生き抜いていてきたアジェだったが、またも運命の荒波によって、歩む道を閉ざされることになる。
この時、アジェは、30歳を迎えようとしていた。
辿り着いた写真への道
アジェは、30歳にして、それまでの人生の大半を捧げて来たものを突然失ったのだ。
言葉では言い尽くせぬほどの、挫折感や喪失感があっただろう。
事実、役者への想いは、生涯消えることはなかったという。
そうして不運にも、自らの夢を絶たれたのだが、彼は決して表現への道は諦めることはなかった。
なんとその後、まず画家を志すことになるのだ。
役者へ注いだ情熱を絵に向け、熱心に絵を描き続けたという。
その決意に嘘はなく、彼の住むアパートはすぐに絵で一杯になったというから驚きだ。
しかし、画家もまた役者同様、決してたやすい道のりではなかった。
さらに絵で生計を立てるとなるとその難しさは、推して知るべしであろう。
画家への道は一年もたたず挫折することになる。
そして、画家の次にアジェが選んだのが、写真であった。
紆余曲折を経て、彼が最後に手にしたのが写真だったのだ。
この時、アジェは34歳。ついに写真家として、歩み出す決心をする。
10代の時、運命の荒波に巻き込まれがらも描いた夢とは、全く違う道を歩むことになる。
そんな自分自身に彼は何を想ったのだろうか。
だが残念なことに、彼が写真の道を選んだ理由は、残されてはいない。
そこには語るべき理由がなかったのかもしれない。生活のための止むに止まれぬ、決断であったのかもしれない。
ただ確かなことは自らが望んで辿り着いたのではなく、自らの宿命に導かれるように辿り着いたのが写真の道だったのだ。
またアジェにとって、写真を始めることは、これまでこだわり続けて来た自己表現の道にひとつの区切りをつけることでもあった。
それは、彼が1890年にパリに戻り、写真家として活動を始める際に、スタジオとなるアパートに掲げた看板の言葉を知ると明らかになる。
その看板には、こう綴られていたという。
「芸術家のための資料」
その言葉が表すとおり、アジェは、表現としての写真ではなく、あくまで現実を正確に映し出す、職人としての写真家を目指し、再び歩み始めたのであった。
古きパリとの出会い
パリに戻り、写真家として活動を始めてから5年後のこと。
これまでの役者生活とは異なり、決して華やかな舞台は用意されていなかったものの、慎ましくはあるが、写真の仕事で生活の糧を得られるようになっていた。
そんな時に彼は、ある一つの決意をする。
それは彼が、晩年に手紙に綴っていた「古きパリ」を写真で記録するという静かな決意を。
この時、アジェは、40歳。
1897年のある日のことであった。
当時のパリは、ベル・エポック全盛の時代。
ベル・エポックとは、19世紀末から1914年に第一次世界大戦が始まるまでの、パリが最も繁栄したと言われる華やな時代のこと。
フランスの産業革命が進み、消費文化も栄え、経済的にもパリが大変豊かな時代だった。
そんな時代に、パリでは大規模な都市改造が行われていた。
それは同時に、徐々にパリの街並みの中から、古い建物や街並みが失われつつある時代でもあったのだ。
写真とは、「その時代の空気を映すもの」と言われることがある。
だが、アジェの写真を眺めてみても、華やかなベル・エポックのパリの姿は全くと言っていいほど見えて来ない。
いや、むしろ意図的にそのような華やかさを避けたのではないかと思えるほど、いずれ記憶の彼方に消えていくであろう”古きパリ”の写真を一人静かに撮り続けたのであった。
誰からの依頼でもなく、ただひとえに自らの意思によって、”古きパリ”を撮り続けたのだ。
当時、当然ながら今のような軽く、小さいカメラは存在しない。
毎日、旧式の大判カメラと三脚を担いで、パリ中を歩き回り、夜に自宅の暗室で現像していたという。
その行動には、どこかアジェの秘められた情熱のようなものを感じてしまう。
一体、彼を突き動かしたものは何だったのだろうか。
古いもの、そして、いずれ失われてゆくものに対しての、誰もが感じる郷愁のような感情もあったかもしれない。
だが、彼のそれまでの人生を辿ってゆくと、またそれとは異なる想いも感じられるような気がするのだ。
幼い頃に両親に先立たれ、孤児となったアジェ。
その後、祖父母のもとに引き取られ神学校に通うが中退し、船乗りの道へ。
船乗りとして世界各地を旅した後、役者を志すも、様々な運命に阻まれ一筋縄にはいかなかった。
そんな日々の中で、育ての親もこの世を去ってしまい、若くして天涯孤独の身に。
その後、なんとか旅まわりの役者としての道を掴み取ったものの、結局は芽が出ることなく、最後はクビになってしまう。
そうした数々の憂き目を経て、最後に辿り着いたのが写真家であったのだ。
それゆえに心の中には、いつもどこか自分自身が時代からこぼれ落ちてしまったような、そんな感覚があったのではないだろうか。
ベルエポックの輝かしいパリの中で、いずれ時代からこぼれ落ち、消えてしまうであろう「古きパリ」の景色。
その景色を目の前にした時、自分自身が辿ってきた人生とその景色を重ね合わせていたのかもしれない。
もちろんそれは、あくまで想像に過ぎない。
ただ確かなことは、輝かしいパリの街並みではなく、失われゆくパリの記憶を紡ぐように、アジェは一人、カメラを構え続けたのであった。
- text HAS
Reference :
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「アジェのパリ」
- 著者:
- 大島洋
- 出版:
- みすず書房
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「ウジェーヌ・アジェ回顧」
- 企画・監修:
- 東京都写真美術館
- 出版:
- 淡交社
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「ウジェーヌ・アジェ写真集」
- 編著:
- ジョン・シャーカフスキー
- 翻訳:
- 原信田実
- 出版:
- 岩波書店
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「写真幻想」
- 著作:
- ピエール・マッコルラン
- 翻訳:
- 昼間賢
- 出版:
- 平凡社
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text :HAS Magazineは、旅と出会いを重ねながら、それぞれの光に出会う、ライフストーリーマガジン。 世界中の美しい物語を届けてゆくことで、一人一人の旅路を灯してゆくことを目指し、始まりました。About : www.has-mag.jp/about
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