水の都・大阪の
知と美の記憶を求めて
知と美の記憶を求めて
of Osaka
of Osaka
かつて大阪は「アドリア海の女王」とも称されたイタリアが誇る水の都「ヴェネツィア」を見立て「東洋のベニス」と謳われた。
都市の中を網の目のように張り巡らされた水路。
その水路を人々が行き交いながら描かれる美しい都市の風景。
それはまさに日本が世界に誇る「水の都」であった。
そんな水の都・大阪の多様な物語を辿りながら、大阪の町に息づく「知」と「美」の記憶を紐解いてゆく「水の都・大阪の知と美の記憶を求めて」。
全5話の2話目となる「第2章」のタイトルは、「栄枯盛衰の先に」で。
今回の物語では、江戸時代の平和によって育まれた大阪の町の精神と
ある商家の歩みを辿ってゆきたい。
- text / photo HAS
of fortune
of fortune
発展の礎を築いた豪商
古の都市の記憶を秀吉が蘇らせ、家康が築いた江戸時代によってもたらされた平和、そして武士が少ない町人中心の自由な雰囲気が生み出した商人の町「大阪」。
「水の都・大阪」の原風景を辿ってゆくと、水路が流れる美しい街並みとその都市の中で活き活きと暮らす町人の姿が浮かび上がってきた。
そんな大阪の町に、ある一人の豪商が誕生する。
その豪商の名は、「淀屋常安」と言った。
わずか一代で豪商にのし上がった商人として知られる人物だ。
大阪に今もある大阪メトロ御堂筋線、京阪電車・京阪本線の「淀屋橋」の名前は、彼が私財を投じ架けた橋「淀屋橋」に由来する。
淀屋は、秀吉に京都・伏見城建築の大工事を命じられたこと、そして淀川の堤防の修築をもやり遂げたことで信頼を掴み、豪商への歩みを確かなものにする。
その後、当時葦が生い茂る砂洲であった中之島の水運に目をつけ、「中之島を商業地にすれば大阪は大きく発展する」と考え、自らの私財を投じ開拓を始めたという。
その先見の明は見事に的中する。
1619年に整地が完了すると、全国各地の大名が自国の産物を売り捌くための蔵屋敷を中之島に次々に建ててゆく。
そうして中之島は、大阪経済の発展の中心地になってゆくのだった。
そして、そんな淀屋の勢いは、決して一代で終わることはなく、二代目淀屋の時には、大阪の経済を手中に収めたとまで言われるのである。
輝かしい歩みと影
それから時が過ぎ、五代目を引き継いだ「淀屋辰五郎」の時代になると、その輝かしい歩みは頂点を極める。
彼の時代には、その力は絶大なものとなり、幕府の役人ですら淀屋に頭が上がらなくなっていたという。
それには大きく二つの理由があった。
ひとつは、各地の大名にお金を貸す「大名貸し」を淀屋が積極的に行っていたこと。
もうひとつは、中之島を拠点に取引されていた「米相場」を淀屋が完全に支配していたことであった。
「大名貸し」では、淀屋からお金を融通してもらわなければ藩政を営めない大名の数は、数十にも及んでいたと言われている。
さらに淀屋が支配した「米相場」では、武士や町人関係なく、大阪に住むあらゆる人に大きな影響力を持つようになっていたという。
当時の武士は、米を金に換え、必需品を買っていた。
もし淀屋が気まぐれで大量の米を売り出して米相場を下げれば、武士たちは大きな痛手を受けたのだ。
さらに発展する大阪の都市の人口は急激に増えつつあった。
しかし、それに対し米の供給は、常に不足していたという。
農村なら米がなくても山菜や雑穀でしのげるが、町人はそうはいかない。
そこで町人は、どんなに米の値段が高くなっても買うしかなかったのだ。
つまりそれは、一商人の判断が大阪のすべての人々の暮らしを揺るがしかねない状況にまでなっていたとも言えるだろう。
そんな一握りの商人の栄光の裏側で、大阪の町に暗雲が立ち込め始めていたのである。
栄光と贅沢の先に
まさに怖いものなし。そんな彼の贅沢は、将軍以上のものだった。
当時の淀屋の屋敷の書斎は、全て金箔貼り。
またある部屋の天井は、その時代の高級品であったガラスを用い、そこに水を流し金魚を放ち、寝ながら眺めていたというのだ。
凄まじい贅沢三昧。
当時の江戸城内にも、これほどまでの部屋はなかったという。
さらに淀屋は、財産家であることに驕り、「米相場」を利用した財産の運用だけで儲けていたとも言われている。
この事実は、多くの人々の反感を買っていた。
暮らしに直接影響のないものであればまだ良いが、生きていくのに欠かせない米の価格を商人の都合で上げ下げされてはたまらない。
実際にわずか4年で米の値段が2倍半近くにもなったという。
懸念していた問題が現実となり、一人の商人の行いが大阪に住む人々の死活にかかわる大問題にまで発展していったのだ。
さすがの幕府も淀屋の振る舞いを見過ごすことが出来なくなった。
そして、1705年5月のある日のこと、ひとつの事件が起きる。
五代目淀屋の辰五郎は、領地や財産を取り上げられ、大阪の町から追放される刑罰を言い渡されたのだ。
その時、五代目三郎座右衛門は、わずか18歳。
その後、彼は京都八幡にひっそり寂しく過ごし、30歳の若さで亡くなったと伝えられている。
輝かしい豪商の歩みは、突如として終わりを迎えることになったのだ。
燦然と輝く栄光の歩みは、決して永続することはなかった。
栄枯盛衰が育んだ知
この商人が辿った物語は、自由の都市が生み出した栄枯盛衰を象徴する、まるで絵に描いたかのような物語である。
誰もが腕一本で挑戦出来る大阪の風土は、多くの挑戦者を生み出し、その一方で数多くの敗北者と、淀屋のような一握りの成功者を生み出したのだった。
しかし、その成功者といえど欲に飲まれてしまえば、まるでひと時の夢のように儚く消えてしまう。
そんな栄光と没落を間近で垣間見ながら、大阪の商人の気質は育まれていった。
まさに大阪という町を教科書に、いかに商売を上手く成功させるかを学び、数多くの失敗も自らの血肉としながら自らの商いを育んでいったのである。
そのため一つの商売で失敗をしても、今度は別の方法で工夫して儲けるという気風が大阪の町にはあった。
そんな環境が大阪に住む商人の中に、それぞれの商いの「知恵」を育ませていったのである。
そうして育まれた「知恵」が商売を通して、多くの人々の間で交流を重ねてゆく中で研鑽され、大阪商人の普遍的な「知恵」となっていった。
そして、その「知恵」は、決して難しい言葉ではなく、誰もが理解出来るシンプルなたった三つの言葉に集約されてゆくのである。
そうその言葉こそ、水の都・大阪に宿る「知」の記憶であったのだ。
そして、その言葉の中にあらゆる商売の礎となる教えが隠されていたのである。
- text / photo HAS
Reference :
-
「大阪商人」
- 著者:
- 武光誠
- 出版:
- ちくま新書
-
「水都大阪物語」
- 著者:
- 橋爪紳也
- 出版:
- 藤原書店
-
「商いの精神」
- 著者:
- 西岡義憲
- 編集:
- 大阪府「なにわ塾」
- 出版監修:
- 教育文化研究所
-
「市民大学の誕生」
- 著者:
- 竹田健二
- 出版:
- 大阪大学出版会
-
「懐徳堂の至宝」
- 著者:
- 湯浅邦弘
- 出版:
- 大阪大学出版会
-
「日本永代蔵」
- 著者:
- 麻生礒次 / 富士昭雄
- 出版:
- 明治書院
-
「西鶴に学ぶ 貧者の教訓・富者の知恵」
- 著者:
- 中嶋隆
- 出版:
- 創元社
-
「上方文化講座・曽根崎心中」
- 著者:
- 大阪市立大学文学研究科「上方文化講座」企画委員会
- 出版:
- 和泉書院
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「石田梅岩 - 峻厳なる町人道徳家の孤影」
- 著者:
- 森田健司
- 出版:
- かもがわ出版
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「AD・STUDIES vol.5 2003」
- 発行:
- 財団法人 吉田秀雄記念事業財団
-
text / photo :HAS Magazineは、旅と出会いを重ねながら、それぞれの光に出会う、ライフストーリーマガジン。 世界中の美しい物語を届けてゆくことで、一人一人の旅路を灯してゆくことを目指し、始まりました。About : www.has-mag.jp/about