自然からの問いかけ

森の住人

鴨川の水源地を守るために、遡ること約1200年前に開かれた岩屋山・志明院。
その祈りは、時を越え、この地を守り継ぐ幾人もの「水の守人」たちによって受け継がれていった。

時代の変化に伴い、源流の地は、ある大きな問題に直面したのだが、先代の住職である真澄住職の尽力によって、その問題を解決し、次の時代へと想いは途切れることなく受け継がれていった。

そして、その想いは、新たな時代の「水の守人」となる、現住職の田中量真住職へと引き継がれてゆく。

だがしかし、そんな「水の守人」の前にもまた、新たな問題が現れつつあったのだ。それは、源流の地を守る森に、音もなく静かに忍び寄る危機だった。

その問題は、森の住人である鹿によってもたらされた。
近年増加の一途を辿る鹿が森の草木を食べ尽くしてしまっているのだ。

かつて志明院を囲む森の木々の下草には、笹が生い茂っていた。
だが、その笹は全て食べ尽くされ、地面は剥き出しになり、本来の植生が崩れ始めている。

森の大地を覆うように生える下草は、雨によって土砂の流出や崩壊を防ぐ大きな役割を果たしている。
目立たぬ存在ではあるが、豊かな森は彼らの働きによって支えられている。

またそれは、志明院だけでなく、今日本の多くの森が直面している問題でもある。
そして、決して見逃すことが出来ないのは、その要因を生み出したのは、他でもない私たち人間なのだ。

消え去った山の神

明治時代に、森に住む、ある動物の乱獲と徹底的な駆除政策によって、その動物が絶滅し、本来あるべき生態系のバランスが崩れてしまった。

それは、かつて森の生態系の頂点に立っていたオオカミだった。
彼らの捕食対象だった鹿は、オオカミによって数が抑えられ、森のバランスが保たれていた。

かつては、田んぼや畑を荒らす猪や鹿を捕食するオオカミは、大神（オオカミ）とも称され、山の神として崇められていた。

だが、明治の急速な近代化の中で、自然への畏怖は失われ、かつての神を自らの手で殺してしまったのだ。

その影響は時間をかけ、鹿の生息頭数の増加という形として現れ、ゆっくりと森を蝕み、100年を過ぎた今、森全体の命を奪おうとしている。
そして、その問題の本質にあるのは、ある一つの問い。

それは「自然と人がいかに共存出来るのか」ということ。

そう、その問いこそが、新たな時代を歩む「水の守人」に投げかけられた、大きな問いだったのだ。

心を見つめる守人

見つめ難い現実

量真住職が志明院の後継者として、本格的にお寺を手伝うようになったのは、30代の頃。
農業大学校での専門的な学びを経て、卒業後は京都府の公務員として、野生動物の保護管理を行う仕事をしていた。

そんな彼の青年時代は、地球温暖化といった環境問題が熱心に叫ばれ始めていた。
人間が一方的に自然を破壊する行為に疑問が持たれ、自然と人との関係性が問われ始めた時代だった。

「いかにして自然と人が共存出来るのか」と。

そして、公務員時代の仕事は、そんな「自然と人の共存」という問いを、机上ではなく、残酷なまでの現実を通して問われる体験だった。

彼は、京都府の公務員として、初年度から「野生動物保護管理の担当」という任務を言い渡され、ツキノワグマをはじめとした野生鳥獣の被害対策・保護管理に携わっていた。
そこで目にしたのは、目を覆いたくなるような現実だった。