[ 画家 ]
光の画家
菱田春草
Hishida Shunsou
菱田春草
光を描いた日本画家
彼は、幾多の動乱を経て、江戸から明治へと大きく移り変わる時代の変遷を生きた。
その時代は、日本が近代化を目指し、西欧の文化を積極的に吸収しながら、あらゆるものが大きく変革し始めていた時代でもあった。
彼は、そんな時代の流れに共鳴するように、伝統的な日本画の世界で新たな変革の旗手を担った。
そんな彼の生み出した新たな表現は、新しさゆえに世間から大きな批判を受け、長い不遇の時代を過ごすことになった。
影響を与えた人物
彼の表現の基礎を大きく形作ったのは、東京美術学校での二人の人物の出会いだった。
一人は、盟友となる日本画家・横山大観。もう一人は、東京美術学校の校長であった岡倉天心。
同じ学校で学ぶ同志として出会った横山大観とは、地道な修練である「古画の模写」で共に技術を磨いた。
また互いに切磋琢磨しながら新たな表現を見出し、海外での展覧会も二人で苦労を共にしながら乗り越えた正真正銘の盟友であった。
また校長の岡倉天心は、西洋芸術と東洋芸術の両面に対する深い見識を併せ持ち、世界に開かれた人脈を持っていた。
その力を持って、折に触れて春草に対し適切な助言を送り、彼の作品を国内外へと繋げる担い手の一人となった。
新たな表現の先に
東京美術学校を卒業後、岡倉天心の「墨による輪郭線を使わずに、光や空気を表現できないか。」という問いをきっかけに新たな表現を模索。
その言葉を受け、春草は、大観と共に試行錯誤しながら「無線描法」という新たな表現に辿り着く。
伝統的に重んじられて来た、墨の筆線を排除し、様々な手法を用い線をぼかすことで光を表現する技法だった。
それは従来の日本画では邪道とされていた方法。
そのため伝統的な技法を軽んじ、日本画への冒涜であるとまで批判されたという。
しかし、そうした不遇の憂き目に遭いながらも決して折れることなく歩み続け、35歳の時に発表した「落葉」が高い評価を受け、ついに世間から認められる。
だがその翌年に、その短い生涯に幕を下ろすことになる。新たな表現の高みを目指し、その生涯の多くをひとえに画業に向き合った一途な人生であった。
- select / text HAS
Reference :
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「菱田春草」
- 著者:
- 近藤 啓太郎
- 出版:
- 講談社
-
「不熟の天才画家」
- 監修:
- 鶴見香織
- 出版:
- 平凡社
-
「菱田春草 生涯と作品」
- 著者:
- 鶴見香織
- 監修:
- 尾崎正明
- 出版:
- 東京美術
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