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心の嵐が今去つたところだ
熱い嵐の中で、つめたい心がこゞえて
獣になつて魂の野を
走りまはつてゐた。
火に烙かれながら、一つの氷が
曇り日の天に向つて叫んだ。
心の嵐が今去つたところだ。
疲れた氷の火が静かにとけて
秋の曇り日の天の下に
春のやうなひかりを感じる。
やつと見つけたお母さんの乳房に
泣きじやくりながら、かじりつく赤ん坊に
私のこゝろは似てゐると思ふ。
1924年3月東京帝国大学ドイツ文学科卒業、同年4月より法政大学予科ドイツ語専任教授となる。
戦前に渡欧し、スイスにロマン・ロランのもとを訪れ、大きな影響を受ける。
西欧の文学と芸術を深く愛し、ロマン・ロラン、ヘッセ、リルケ、ハイネ、ゲーテといった独仏文学の翻訳も数多く手掛けた。
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青々と澄み切った湖面を包むように流れる霧。
この音楽は、そんな霧に包まれた静かな湖面に朧げに射す朝の光のような美しさを湛えた音響作品です。
「Cendre」フランス語で「灰」という意味を持つ名前のアルバムに収録された一曲。
この曲は、オーストリア出身の音楽家 クリスチャン・フェネスと坂本龍一の二人のコラボレーションによって生まれました。
静かに、ささやくように紡がれる美しい響きが澄み切った静謐な時間を私たちの暮らしの中に届けてくれます。
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アメリカ合衆国ノースカロライナ州シャーロットを拠点に活動する、シンガーソングライター / エミリー・セージ(Emily Sage)による一曲。
「Lumiére ルミエール」と名付けられた、この曲は、エミリー・セージのアルバム「The Sounds of Serenity Garden」の中に収められています。
「Lumiére」とは、フランス語で光を表す言葉。
そして、アルバム名に付けられた「Serenity Garden セレニティー・ガーデン=穏やかな庭」とは、シャーロットで開催される音楽フェスティバルに合わせ、2023年に都市の中に整備された新たな緑地の名前。
アルバム名の「The Sounds of Serenity Garden」は、そんな都市の中の緑地セレニティー・ガーデンの響きという意味を表しています。
その名前が語りかけるように、このアルバムのコンセプトは、音楽を通じて都会の喧騒の中で自然に出会うということ。
私たちが時間をかけて丁寧に耳を澄ませば、忙しない都会の中でさえも、いたるところに美と芸術があることを感じられるという彼女の想いが込められています。
ささやくように紡がれる彼女の幻想的な歌声は、耳にする人の暮らしの中に、穏やかな自然の光を灯してくれます。
子供時代をポルトガルで過ごし、伝統的なポルトガルの音楽ファドやノラ・ジョーンズ、アンドレア・ボチェッリ、クラシックなどを聴いて育つ。
大学進学に合わせて、アメリカ合衆国テネシー州ナッシュビルのベルモント大学でソングライティングと音楽ビジネスを学び、その後音楽活動の拠点として、ノースカロライナ州シャーロットに移住する。
ポルトガルの子供時代に育んだ感性を背景に紡がれる、ささやくような幻想的な歌声が印象的なシンガーである。
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私の室に一冊のよごれたバイブルがある。
椅子につかふ厚織更紗で表紙をつけて背に羊の皮をはつて NEW TESTAMENT. とかいて私はそれを永い間持つてゐる。
十余年間も有つてゐる。
それは私の室の美しい夥しい本の中でも一番古くよごれてゐる。
私は暗黒時代にはこのバイブル一冊しか机の上にもつてゐなかつた。
寒さや飢ゑや病気やと戦ひながら、私の詩が一つとして世に現はれないころに、私はこのバイブルをふところに苦しんだり歩いたりしてゐた。
いまその本をとつてみれば長い讃歎と吐息と自分に対する勝利の思ひ出とに、震ひ上つて激越した喜びをかんじるのであつた。
私はこれからのちもこのバイブルを永く持つて、物悲しく併し楽しげな日暮など声高く朗読したりすることであらう。
ある日には優しい友等とともに自分の過去を悲しげに語り明すことだらう。
どれだけ夥しく此聖書を接吻することだらう。
生後まもなく真言宗高野山派、千日山雨宝院にもらわれ、養父母のもとで育つ。
高等小学校を中退し、12歳で働きはじめた犀星は、文学への思いを募らせて20歳で単身上京、生活苦にあえぐなかで数々の詩を作った。
『愛の詩集』『抒情小曲集』などの抒情詩は大正期の詩壇を牽引し、さらに小説家としても活躍した。
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わが宿の竹の林に、夕あかりかがよふ見れば、
その竹の湿る根ごとに、何か散り、深く光れり。
その節のひとつひとつに、何かまた留り光れり。
その笹のさみどりの葉に、何かまた揺れて光れり。
金色のその光るもの、こまごまと眼に染しみるもの、
雨ふりてあかれるのちは、とりわけて揺れてうつくし。
寂しくて見てゐるきはは、いよいよに消えてうつくし。
揺るるともただ見て居らむ、消ゆるともまた見て居らむ、
堪へ堪へて日の暮るるまで、なほなほに寂しがりつつ。
わがやどの竹の林の夕あかり、裏山松の松風の音のこなたに。
本名は、北原 隆吉(きたはら りゅうきち)、
1904年に早稲田大学に入学と共に上京。明治39(1906)年与謝野寛に誘われ新詩社に参加、『明星』で活躍する。
治42(1909)に第一詩集『邪宗門』を発表。2年後に詩集「思ひ出」を発表すると名実ともに詩壇の第一人者となる。
生涯にわたり多数の優れた詩歌を残し、近代日本を代表する詩人とされている。
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木々の隙間から微かに零れる光が朝靄を静かに染める夜明け。
この音楽は、そんな美しい朝のひと時をすくい上げるように紡がれた一曲です。
この曲は、アメリカ・ポートランド出身の女性アーティスト Grouperの5作目となるアルバム「Dragging a Dead Deer up a Hill」の中に収録されています。
淡い光に包まれる、儚く美しい朝のひと時のような時間を私たちに届けてくれます。
空間を満たすサウンドスケープとシンプルなピアノの音色を背景に、ささやくような歌声を重ね合わせ、幻想的な世界観を生み出している。
また音楽のみならず、自らのアルバムジャケットのアートワークも手掛けるなど、音楽とアートの垣根を越えた表現を行う。
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若干18歳で『貧しき人々の群』で文壇に鮮烈にデビューし、天才少女と注目された。
女性の自立を追求した作品「伸子」を発表した後、1928年新しい発展をもとめてソ連、ヨーロッパで生活。
その後ソ連を訪れ日本共産党に入党。宮本顕治と結婚。再三検挙されながらも執筆活動を続けた。戦後は民主主義文学運動の出発を宣言。
日本の左翼文学・民主主義文学、さらには日本の近代女流文学を代表する作家の一人である。
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夕影しづかに番の白鷺下り、
槇の葉枯れたる樹下の隠沼にて、
あこがれ歌ふよ。
『その昔、よろこび、そは朝明、光の揺籃に星と眠り、
悲しみ、汝こそとこしへ此処ここに朽ちて、
我が喰み啣める泥土と融とけ沈みぬ。』
愛の羽寄添ひ、青瞳うるむ見れば、
築地の草床、涙を我も垂れつ。
仰げば、夕空さびしき星めざめて、
しぬびの光よ、彩なき夢ゆめの如く、
ほそ糸ほのかに水底に鎖ひける。
哀歓かたみの輪廻は猶も堪へめ、
泥土に似る身ぞ。
ああさは我が隠沼、
かなしみ喰み去る鳥さへえこそ来めや。
啄木は雅号で、本名は石川 一(いしかわ はじめ)。
旧制盛岡中学校中退後、明治35(1902)年与謝野鉄幹の知遇を得て、『明星』に寄稿する浪漫主義詩人として頭角を現す。19歳の時に、処女作となる詩集『あこがれ』を刊行。
同時期に盛岡に帰郷し結婚するも、生活難のため母校の代用教員となる。
明治41(1908)年に上京、創作に没頭し小説を発表するが認められず、困窮の生活を送り、翌年に東京朝日新聞に就職。
明治43(1910)年に『一握の砂』を刊行、歌人としての地位を確立する。
また、同年に起きた幸徳事件(大逆事件)をきっかけに社会主義への関心を深め、文学評論も執筆したが、26歳の時に結核を患い帰らぬ人となる。
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アメリカ・イリノイ州のChris Fraley (クリス・フレイリー)が手掛けるアンビエント・プロジェクトInnesti による一曲。
「Motes and Shadow」と名付けられた、この曲は「Formless」というアルバムの中に収められています。
アルバム名の「Formless」とは、「形のない・漠然とした」という意味を表す言葉。そして楽曲の「Motes and Shadow」とは、「ちりや微片と影」という意味を表しています。
そうした言葉が表すように、この楽曲には、どこか儚く掴みどころのない幽玄な世界観が流れています。
霧の中で美しい音色が響き渡るような幻想的な音楽は、聴く人を穏やかな時の彼方に運んでくれるのではないでしょうか。
1980年代にイギリスで設立された音楽レーベル・4ADの世界観を定義したThis Mortal Coilのような幽玄で優美なサウンドと現代のアンビエント・サウンドスケープを組み合わせた表現を指針とし制作を行っている。
淡い音のレイヤーが神秘的な世界観を紡ぎながら、ゆっくりと広がる彼女の音楽は、読書や夢想、瞑想の時間をより深い体験へと導いてゆくだろう。
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この曲は、ウクライナ・キーウ出身の現代音楽・作曲家 Valentin Silvestrov (ヴァレンティン・シルヴェストロフ)によって紡がれました。
かつて彼は、前衛的な音楽作品を発表していたのですが、ある時期を境に、メロディを重んじた伝統的な作曲手法に回帰するようになりました。
「メロディとは音楽の宝石である。」
(ミュージック・レビュー・サイト『Mikiki』より引用)
これは、彼が過去に美しいメロディーへの想いを語った言葉。
前衛的な現代音楽から消えてしまった美しいメロディーを手繰り寄せるように紡がれた数々の作品の中には、過ぎ去りし日々への静かな祈りが流れているような気がします。
彼が音楽に目覚めたのは15歳と比較的遅く、当初は独学だったが、その後、キエフ夜間音楽学校でピアノを学ぶ。
ソ連支配下の60年代には、前衛的作品で西側から称賛を受けるも、ソ連当局からは冷遇され演奏機会に恵まれなかった。
70年代以降は、調性の破壊と言った前衛的な作曲手法から離れ、メロディーを重んじた伝統的な音楽と現代的な感覚を併せ持つ数々の作品を発表する。
同じく東欧にルーツを持つ、現代音楽を代表する二人の作曲家、アルフレッド・シュニトケとアルヴォ・ペルトをして「現代最高の作曲家のひとり」と称される音楽家である。
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ある穏やかな午後の日。 ふと見上げた木々の隙間からこぼれ落ちる木漏れ日。 この音楽は、そんな穏やかな木漏れ日をすくい上げるように紡がれたピアノ曲です。
この曲を紡いだのは、デンマーク出身のピアニスト・作曲家である、ヤコブ・デイビッド(Jacob David)。 あたたかな木漏れ日が安らぎのひと時を描くように、穏やかな時間を私たちの暮らしの中に届けてくれます。
デンマークの首都であり、北欧最大の都市であるコペンハーゲンを拠点に活動を行う。
幼少期よりピアノに親しみ、ブルースからクラシックまで幅広い即興演奏を行いながら自身のスタイルを確立。
柔らかなピアノのタッチから紡がれる穏やかな音色が印象的な音楽家である。
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