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心の嵐が今去つたところだ
熱い嵐の中で、つめたい心がこゞえて
獣になつて魂の野を
走りまはつてゐた。
火に烙かれながら、一つの氷が
曇り日の天に向つて叫んだ。
心の嵐が今去つたところだ。
疲れた氷の火が静かにとけて
秋の曇り日の天の下に
春のやうなひかりを感じる。
やつと見つけたお母さんの乳房に
泣きじやくりながら、かじりつく赤ん坊に
私のこゝろは似てゐると思ふ。
1924年3月東京帝国大学ドイツ文学科卒業、同年4月より法政大学予科ドイツ語専任教授となる。
戦前に渡欧し、スイスにロマン・ロランのもとを訪れ、大きな影響を受ける。
西欧の文学と芸術を深く愛し、ロマン・ロラン、ヘッセ、リルケ、ハイネ、ゲーテといった独仏文学の翻訳も数多く手掛けた。
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澄み切った水面に零れ落ちる光。
この曲は、そんな自然が描く束の間のひと時をすくい上げるように紡がれた楽曲です。
この曲は、カナダ・サスカチュワン州出身の女性アーティストCharlotte Oleena (シャルロット・オリーナ)によるソロ・ユニット、Sea Oleena (シー・オリーナ)によって紡がれました。
彼女が生まれたカナダ・サスカチュワン州は、広大な草原と十万を数える湖と川が流れ、果てしなく広がる青い空に包まれた雄大な自然が息づく土地。
まるで美しい自然のひと時を紡ぐような彼女の音楽は、そんな彼女の心の中に流れる心象風景を描いたものなのかもしれません。
子供時代にピアノ教室に通うも馴染まず、独学で作曲を始める。その後、偶然実家の空き部屋のベッドの下に、古いアコースティックを見つけたことがきっかけとなり、最初のセルフアルバムを完成する。
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滴り落ちる水が反響し、美しい水音となって響き渡る。
この音楽は、まるで日本庭園の中にある水琴窟が奏でる音色のように、捉えどころのない自由な響きを紡ぐピアノ曲です。
「In The Mist」という名のアルバムに収められた一曲。
この曲は、アメリカの作曲家であり、ピアニストのハロルド・バッドによって紡がれました。
ささやくように揺らぐピアノの音色が穏やかな静寂を暮らしの中に届けてくれます。
カリフォルニア大学ノースリッジ校で学士号を取得するもミニマリズムと前衛音楽に自らの限界を感じ、一時作曲活動を休止。
その後、ブライアン・イーノのプロデュースのもと、再デビュー・アルバムをリリース。
「作曲とは無駄なものを取り除いていくこと」という理念をもとに、ラディカル・シンプリシティをテーマに独自のアンビエント・ミュージックのスタイルを追究した。
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ほかの人が苦しんでいるのを見たら、
私も悲しまずにはいられない。
ほかの人が苦しんでいるのを見たら、
慰める方法を考えずにはいられない。
涙がこぼれ落ちるのを見たら、
同じ気持ちにならずにはいられない。
父が子の泣く姿を見たら、
悲しみで胸がいっぱいにならずにはいられない。
子どもが幼い恐怖にうめき苦しんているのに、
母親は黙ってそれを聞いていることができるだろうか。
いやいやそんなことはできはしない。
決してできるわけがない。
まして私たちみなに微笑みかけて下さる方が、
鷦鷯の小さな悲しみを聞き
小鳥たちの憂いや悩みを聞き
子どもたち哀れな様子を聞いたら、
巣のかたわらに座って
彼らの胸に憐れみの心を注いだり、
揺りかごのそばに座って
子どもたちとともに涙せずにいられようか。
私たちの涙をぬぐうために、
昼も夜も私たちを見守らずにいられようか。
いやいやそんなことはできはしない。
決してできるわけがない。
その方はあらゆるものに歓びを与え、
その方は小さな子どもになられる。
その方は嘆きの人となって、
その方は悲しみをともにする。
あなたがため息をついているのにあなたを創った方が、
ため息をつかないなどと考えてはならない。
あなたが涙を流しているのにあなたを創った方が、
涙を流さないなどと考えてはならない。
おお、神は私たちに歓びをくださる、
神は私たちの悩みを打ち砕く、
私たちの悩みが消え去るまで、
神は私たちの傍らで悲しみつづける。
ブレイクは、ビジョンと呼ばれる幻視体験に基づいた特異な見解から同時代の人々からは狂人扱いされており、生前は詩人としては認められることはなく、一介の彫版師として生活した。
その後の批評家や読者からは、その表現力と創造性、そして作品内の哲学的・神秘主 義的な底流が高く評価されるようになり、ワーズ・ワース、コール・リッジらとともにイギリス・ロマン派の詩人の重要人物として知られている。
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ある穏やかな午後の日。 ふと見上げた木々の隙間からこぼれ落ちる木漏れ日。 この音楽は、そんな穏やかな木漏れ日をすくい上げるように紡がれたピアノ曲です。
この曲を紡いだのは、デンマーク出身のピアニスト・作曲家である、ヤコブ・デイビッド(Jacob David)。 あたたかな木漏れ日が安らぎのひと時を描くように、穏やかな時間を私たちの暮らしの中に届けてくれます。
デンマークの首都であり、北欧最大の都市であるコペンハーゲンを拠点に活動を行う。
幼少期よりピアノに親しみ、ブルースからクラシックまで幅広い即興演奏を行いながら自身のスタイルを確立。
柔らかなピアノのタッチから紡がれる穏やかな音色が印象的な音楽家である。
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雲もまた自分のやうだ
自分のやうに
すつかり途方にくれてゐるのだ
あまりにあまりにひろすぎる
涯のない蒼空なので
おう老子よ
こんなときだ
にこにことして
ひよつこりとでてきませんか
本名、土田八九十(つちだ はくじゅう)。
1909年、人見東明から「静かな山村の夕暮れの空に飛んでいく鳥」という意味をこめ「山村暮鳥」の筆名をもらう。
築地の聖三一神学校時代に文学に開眼し、卒業後はキリスト教の伝道師として各地で布教活動をしながら詩を書き続け、数多くの作品を生み出した。
代表作は『聖三稜玻璃』(1915年)、『風は草木にささやいた』(1918年)、『雲』(1925年)など。
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吹き抜ける風、やわらかな木漏れ日、穏やかな川のせせらぎ。 美しい自然が訪れる人をそっと包み込むような場所。 この音楽には、まるでそんな安息の地へと誘うような優しい歌声が流れています。
「A Plea En Vendredi」というアルバムの中に収められた一曲。 この曲は、オーストラリア出身の学者であり、シンガーソングライターのタマズ・ウェルズによって紡がれました。
聴く人の心を優しく包み込むような彼の歌は、安らぎの地の穏やかな木漏れ日のように、あたたかな時間を私たちに届けてくれます。
彼は、2006年から2012年の6年間をミャンマーで過ごし、現地のNGOでHIV/エイズ教育のヘルスワーカーやフィールドワーカーの仕事をしていた。
その後メルボルンに戻り、メルボルン大学でビルマ政治学の博士号を取得し、現在は学者として暮らしている。
そんな彼の奏でる歌声は、澄み切った優しさに包まれ、「天使の歌声」とも称される。
異色の経歴を持つシンガーソングライターである。
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木々の隙間から微かに零れる光が朝靄を静かに染める夜明け。
この音楽は、そんな美しい朝のひと時をすくい上げるように紡がれた一曲です。
この曲は、アメリカ・ポートランド出身の女性アーティスト Grouperの5作目となるアルバム「Dragging a Dead Deer up a Hill」の中に収録されています。
淡い光に包まれる、儚く美しい朝のひと時のような時間を私たちに届けてくれます。
空間を満たすサウンドスケープとシンプルなピアノの音色を背景に、ささやくような歌声を重ね合わせ、幻想的な世界観を生み出している。
また音楽のみならず、自らのアルバムジャケットのアートワークも手掛けるなど、音楽とアートの垣根を越えた表現を行う。
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わが宿の竹の林に、夕あかりかがよふ見れば、
その竹の湿る根ごとに、何か散り、深く光れり。
その節のひとつひとつに、何かまた留り光れり。
その笹のさみどりの葉に、何かまた揺れて光れり。
金色のその光るもの、こまごまと眼に染しみるもの、
雨ふりてあかれるのちは、とりわけて揺れてうつくし。
寂しくて見てゐるきはは、いよいよに消えてうつくし。
揺るるともただ見て居らむ、消ゆるともまた見て居らむ、
堪へ堪へて日の暮るるまで、なほなほに寂しがりつつ。
わがやどの竹の林の夕あかり、裏山松の松風の音のこなたに。
本名は、北原 隆吉(きたはら りゅうきち)、
1904年に早稲田大学に入学と共に上京。明治39(1906)年与謝野寛に誘われ新詩社に参加、『明星』で活躍する。
治42(1909)に第一詩集『邪宗門』を発表。2年後に詩集「思ひ出」を発表すると名実ともに詩壇の第一人者となる。
生涯にわたり多数の優れた詩歌を残し、近代日本を代表する詩人とされている。
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モンゴル・ウランバートル出身、現在はドイツ・ミュンヘンを拠点に活動するジャズシンガー・エンジ(Enji)による一曲。
この曲が収録されたアルバム『Ursugal』には、彼女の父への想いが込められています。
その想いとは、父親への愛情。
彼女の家族は、「愛してる」という言葉を互いに口にすることは、ほとんどなかったと語っています。
しかし、それは決して愛がないのではなく、その言葉を口にする気恥ずかしさがあったのだと言います。
その感覚は、私たち日本人の家族への想いと、どこか似ているようにも感じます。
アルバム『Ursugal』は、そんな彼女の内面にある深い愛情を表現することを大切にしながら作られました。
そして、この「An Untitled Hill(名もなき丘)」は、このアルバムの最後に収められた一曲。
この曲には、彼女の記憶の中にある、かつて父と共に歩いた故郷のある丘の風景が流れているのかもしれません。
それはきっと他の誰かにとっては何でもない、しかし彼女にとっては特別な、名もない丘の風景なのだと思います。
歌を愛する両親のもと、モンゴルの伝統的な移動式住居ゲルを住まいとし、子供時代を過ごす。
もともと歌手ではなく、音楽教育に関心があった彼女のキャリアは、小学校の音楽教師から始まる。
しかし、後に彼女が暮らす地域で開催された、ドイツの文化機関「ゲーテ・インスティトゥート」の資金援助によるジャズ教育プロジェクトへの参加がきっかけとなり、自分の中にある歌への想いに気付き、教育者から歌手への道を歩み始める。
その後、ドイツ・ミュンヘンに移住し、音楽・舞台芸術大学のジャズヴォーカル修士課程を卒業し、本格的な歌手として活動を開始する。
両親から受け継いだモンゴル遊牧民族の民謡や舞踊、伝統的な歌唱法を下地に西洋の音楽表現を融合させた、独自のスタイルを持つ、ジャズシンガーである。
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アメリカ・ルイジアナ州出身、現在はロサンゼルスを拠点に活動する作曲家・ヴォーカリスト・プロデューサーのジュリアナ・バーウィック(Julianna Barwick)による一曲。
この曲と同じタイトルが付けられたアルバムの題名は『Healing Is A Miracle』。
このアルバムのテーマは「自然治癒能力」。
人間の体が自らを癒す「自然治癒能力」の奇跡のような働きにインスパイアされ、生み出された一曲です。
そんな彼女の歌声が紡ぎ出す幻想的な時間は、耳を傾ける人々の心を穏やかに癒してくれます。
それはまさに彼女が想い描く奇跡のような癒しの力なのかもしれません。
子供時代のルイジアナでの聖歌隊での活動を背景に、自身のヴォーカルをモチーフにサンプラーを用いて幾重にも歌声を重ねながら作曲する、独自のスタイルを持つ音楽家である。
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