小さな声を届けた写真家
ルイス・ハイン
Lewis Hine

大きく変わりゆくアメリカ社会の中で
20世紀初頭のアメリカ合衆国において、写真を通して様々な社会問題に光をあてた写真家ルイス・ハイン。
1874年に、アメリカ合衆国・中西部にあるウィスコンシン州に生まれた、ハインが生きた時代は、産業革命の真っ只中であった。
ヨーロッパで始まった産業革命が海を越え、アメリカ各地でも工場が建設され、大型機械が導入されるようになっていた。
その変化は、労働による生産性をこれまでとは比べられないほどに高め、物質的な豊かさを当時の社会にもたらすことになった。
またそれは、労働の在り方も大きく変えてゆくことになる。

その高い生産性を支えるためには、工場で働く労働者が数多く必要とされた。
また、その求められていた労働者とは、特別な技能を持つ職人ではなく、機械を支えるための単純な労働を長時間にわたって行える人々であった。
つまりそれは、低賃金で、長時間働ける労働者を数多く求めていたのだ。
その労働環境も現在の日本のような保障があるはずもなく、その多くが過酷極まりないものであった。時に使い捨てであり、搾取とも言えるものであった。
そんな過酷な労働の矛先を向けられたのが、当時の幼い子供たちだったのだ。

今の私たちの時代、特に現代の日本においては想像すら出来ないが、当時の社会では、子供たちは安い賃金で雇うことが出来たのだ。
さらに幼過ぎて労働環境に対して文句を言うことが出来ないために、経営者にとって都合の良い労働力として扱われていたのだ。
本来学校に通い、元気に遊んでいるはずの子供達が、その機会を搾取され、働かされていたのだ。

小さな声を届けてゆく決意
そんな様々な矛盾を孕みながら発展してゆく時代の中で、ハインは当初、教師として働いていた。
しかし、社会の経済的成長という裏側に流れる、暗く悲しい現実を知るにつれて、その問題から目を逸らすことが出来なくなってゆく。
そしてついに、その社会問題に光を当て、隠された悲しい現実を多くの人々に届けてゆくために、なんと教師という職を捨て、一から写真家として歩み始める。

ハインは、幼い子供が働いている現場を写真に収めるため、数多くの労働の現場に潜り込んだ。
だがそれは経営者にとって都合の良いことではなく、嫌がらせや暴力などの危険な目に遭いながらの命懸けの撮影であったという。
しかし、そうした撮影を重ね、様々な子供たちの労働の現実を写真に収め、ついに新聞の紙面上での写真の発表にたどり着く。
その写真は、アメリカ国内で大きなセンセーションを引き起こし、児童労働について改善する動きを生み出す大きなきっかけを作り出すことになった。

「私は、教育者としての努力の対象を教室の生徒から世界中の子どもたちに広げたにすぎません。」
写真家への転身の理由をこう語ったルイス・ハインの眼差には、教師の時と変わることのない、温かな子どもたちへの愛情が流れていた。
だが、世界に目を向けてみると、決して児童労働の問題は解決されたわけではないことに気付かされる。
今まさに、世界のどこかで不当に働かされている子供たちがいることを。

ルイス・ハインが残した写真は、決して過ぎ去った時代を伝えるものではなく、今まさに取り組まなければならない課題が残されていることを私たちに教えてくれる。
時代から隠された小さな声をたった一人ですくい上げた、ルイス・ハイン。
彼の残した足跡を学びながら、私たちもまた社会の中で隠された声に耳を傾けてゆかねばならない。
Reference :
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「ちいさな労働者」
- 著者:
- ラッセル・フリードマン
- 翻訳:
- 千葉茂樹
- 出版:
- あすなろ書房
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text :HASは、多様な美しい物語を通して「物語のある暮らしを提案する」ライフストーリーブランド。ライフストーリーマガジン「HAS Magazine」のプロデュース、デザインスタジオ「HAS Couture」の運営を行う。