鴨川源流・志明院
響き合う水と生命の言葉
響き合う水と生命の言葉
Story
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そんな鴨川の源流の地を千年の時を越え、守り継いで来た寺院、志明院。
そこには、時を越え、源流の地を守り継いで来た「水の守人」と呼ばれる人々がいる。
そんな彼らが辿った幾つもの物語を紐解いてゆくと、この土地が語りかける、ある言葉に出会った。
その言葉は、私たちに遥かな生命との繋がりを教えてくれる。
前編「せせらぎの記憶」では、古の時代から紡がれて来た鴨川の記憶を紐解きながら、ある二人の「水の守人」の物語を辿ってゆきたい。
- text / photo HAS / Hiroaki Watanabe
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[ 序章 ]はじまりの水音
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[ 前編 ]せせらぎの記憶
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[ 後編 ]水と生命の響き
the streams
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Contents
源流への旅路
はじまりの風景
刻一刻と移り変わる自然の表情を映す、京都・鴨川。
とりわけ夕暮れの鴨川の景色は美しい。
水辺に集う人々の姿がぼんやりと黄昏れの中に浮かび、さらさらと流れる水の音に溶かされるように、遠くからは楽器の音色が微かに響き渡る。
空を見上げると鳥たちは山の稜線へと消え、人々もまたそれぞれの帰路へと消えてゆく。
今も昔も鴨川は、そんな自然の風景と人々の暮らしが重なり合う場所だった。
かつて鴨川の水は、生活や農業、様々な産業に用いられ、暮らしを支える川だった。
また御所の用水としても使われていたため、鴨川源流の雲ヶ畑では、水を汚さないために細心の注意が払われていた。
おむつをゆすぐことも許されず、死者の火葬場も村から峠を越えた遠い場所に作られていた。
まさに鴨川は、京都で暮らす全ての人々にとって、守るべき大切な川だったのだ。
源流へのまなざし
だがその一方で、鴨川は、時に人々の暮らしを脅かす存在でもあった。
大雨が降るたびに、しばしば暴れ川となり京都の街を襲ったのだ。
その被害の大きさは、洪水のたびに川の流路が変わったほど。
まさに想像を絶するものだった。
その背景には、平安京や社寺の造営、人口の増加による燃料の消費のために、鴨川上流の森林が破壊され、森が保水力を失ったことが大きな原因だった。
平安時代には、白河法皇が「鴨川の水、双六の賽、叡山の法師、これぞわが御心に叶はぬもの」と嘆いたほど。
双六の賽とは、サイコロの目のこと。
そして、叡山の法師とは、比叡山・延暦寺を拠点に組織された武装した僧のこと。
彼らは、武力と神仏の力を背景に、時に朝廷に力づくで自らの要求を通そうとした。
そうしたものと並び称されるほど、鴨川は手に負えない存在だったのだ。
そのため鴨川の水を治めることは、京都で暮らす人々の共通の願いだった。
そして、その切なる願いは、ある一人の男に託されることになる。
その男は、鴨川の現状を見つめながら、こう語ったという。
「鴨川の水源地を祈願し祀らなければ、暴れ川である鴨川は治まらず、都の平安はない」と。
そう語る男の目には、生命の営みを見据える深い眼差しが宿っていた。
この物語は、そんな一人の男の言葉から始まってゆくのだ。
はじまりの守人
紡がれゆく物語
その男の名は、弘法大師・空海。
真言宗の開祖であり、1200年の時を越え、今なお日本のみならず世界中の人々を惹きつけてやまない聖地・高野山を開いた、日本仏教を代表する名僧の一人である。
その時、空海は50代を迎えていた。
既成の仏教に疑問を抱き、エリート僧の道を外れ、山野を駆け巡り修行を重ねた青年時代を経て、無名の一介の僧として、命懸けの中国の旅で掴み取った新たな仏教の教えを日本に持ち帰り、約20年の時が過ぎていた。
そして、そんな空海は、天皇の勅命によって、鴨川源流の最初の一滴を守ることを命じられるのだ。
聖地・高野山を既に開き、数多の経験を重ね、円熟の域に達していたであろう50代の空海は、鴨川源流の地に、水源地を祀る聖地を開くことを決意する。
そうして開かれた場所こそが今なお鴨川源流・雲ヶ畑に佇む、岩屋山・志明院だったのだ。
それは今から遡ること、約1200年前。
京都に都が移され、約30年の時が過ぎた829年のことだった。
そう、この地の「水の守人」の歩みは、弘法大師・空海の歩みから紡がれてゆくのだ。
生命への祈り
志明院が開かれた土地は、古の時代より神が宿る聖地として祀られて来た場所だった。
この寺の名前に「岩屋山」と名付けられているように、この土地のほとんどは、岩で出来ている。
土を掘り返せば、すぐに固い岩肌に突き当たる。
そのため地震に強く、歴年の古文書を紐解いても地震の被害を受けた記録がないほどに。
まさに自然の神秘とも言える大いなる力が宿る場所で、鴨川の源流の一滴は生まれるのだ。
そんな神秘的な場所で、生命の源である水が一滴づつこぼれ落ちる様は、古の人々に遥かな水の信仰を抱かせたことは、決して不思議ではない。
この地を訪れた空海もまた、同じ想いを抱いたのではないだろうか。
「草木また成ず。いかにいわんや有情をや。」
これは空海が残した書物に綴られていた言葉。
植物ですらも間違いなく成仏する。人間が成仏できないはずはないと。
空海の祈りの中には、植物や石ころ、土といった無生物までをも包み込む、深い生命へのまなざしが流れているのだ。
それはまさに、古の人々が抱いた自然への信仰と深く重なり合うものだった。
それは、動物や植物、風や水、石や土、そして人をも含めたすべてのものが魂を持ち、遥かな生命の営みの中で繋がっているという教え。
たとえ人でさえも生態系の一部に過ぎず、自然と謙虚に向き合うことが大切なのだと。
そんな深い生命への祈りに支えられ、志明院は、鴨川源流の地を守る聖地として歩み始めるのだ。
そして、その祈りは、この地を守り継いだ幾人もの「水の守人」たちによって、一千年もの時を旅してゆくのである。
その大いなる祈りの旅は、無窮に続く、遥かなる旅路となるはずだった。
だがしかし、その旅路は、変わりゆく時代のうねりの中で、ある大きな問題に直面してゆくことになる。
戦う守人
隠された計画
平安時代から一千年もの時を越えた1980年代。
戦後の大きな経済成長に伴い、人々の価値観が大きく変化する中で、ある計画が明らかになる。
それは、京都府が主導で進めていた、鴨川源流の地・雲ヶ畑にダムを建設するという計画だった。
その計画は、なんと住民に相談なく、秘密裏に進められていたという。
京都府の計画は、百年に一度起こるかもしれない大洪水を防ぐために、治水ダムを建設するというものだった。
治水ダムとは、通常はダムに水を貯めず、大雨の時のみ水を貯めるダムのこと。
だがしかし、そのダム計画は、秘密裏に進められていたことはもとより、事前調査にも不可解な点があるように感じられた。
そして、現住職の先代である田中真澄住職は、計画そのものに疑問を抱き、自ら情報を集めてゆく。
するとダムの建設は、鴨川の自然環境を未来永劫破壊してしまうほどの恐ろしい可能性を秘めていることに気付くのだ。
それは鴨川源流の地の存在そのものを揺るがしかねない、大きな問題だった。
想像を超える真実
その問題は、ダムの建設予定地である京都北山の自然環境を深く見つめることで明らかになる。
杉や桧の産地として知られる京都北山の地質には、ある特徴があった。
杉や桧がよく育つ、北山の土壌はやわらかい。
そのため、大雨が降ると一気に流れ出す特徴を持つ。
だからこそ、木々が生い茂る豊かな森の存在が大きな役割を果たしていた。
かつて平安時代に森林の伐採によって、鴨川で幾度も大洪水が起きたように。
ダム建設は、当然ながら広範囲の森林を切り開く。
それは同時に、土砂の流出を防いでいた森林を破壊することになる。
そのため、ダムによって、一時的に治水の役割を果たせたとしても、想像を遥かに超える土砂によって、いずれダム自体が埋まってしまうのだ。
さらにその土砂は、流れのないダムの中で溜め込まれ、ヘドロとなる。
そして、下流域に放出することも出来ない、大きな負の遺産となってしまう。
またその汚染された水は、当然ながら下流域に流れ、川の水を濁らせ、生態系はおろか、美しい川辺の風景すらも破壊してしまうのだ。
それだけではない。
地質学者の調査によると、やわらかい北山の土壌は、地震の際に地滑りを起こす可能性が非常に高いという。
さらに建設予定地の山腹の傾斜は急峻で、その可能性はさらに高まる。
百年に一度の大洪水を防ぐためのダムが、土砂の堆積によって4、50年しか持たず、さらには地震の際にはダムが地滑りで決壊し、鉄砲水となって京都市内を襲う可能性すらも孕んでいたのだ。
守るべき物語
だが、なぜこれ程大きなリスクが潜むにも関わらず、ダム計画が強行されようとしていたのだろうか。
その背景には、ダム建設によってもたらされる経済効果や利権という自然環境を省みない、様々な人々の思惑が流れていた。
自然の生態系は何千年、何万年もの気の遠くなる時をかけ、育まれてきた。
だが、それがひと時の人間の利益を優先し、破壊してしまうと、もう二度と元には戻らない。
滔々と流れる鴨川の美しい流れも、その川の流れが描く美しい京都の街並みも、そこに集うあらゆる生命の物語も。
その問題の大きさに気付いた、真澄住職は、自らがダム建設反対運動の先頭に立ち、行動することを決意する。
当初は賛同者も少なく、決して簡単な道のりではなかった。
しかし、地道な運動は、やがて大きなうねりとなり、哲学者・梅原猛といった様々な学識経験者をも巻き込みながら、数多くの京都市民の賛同を集めてゆくことになる。
そして、なんと最終的には、ダム建設の撤回を実現するのだ。
新たな時代への問い
建設予定のダム計画が市民の反対運動によって撤回されたのは、それが日本史上初めてのこと。
鴨川源流の地の自然を深く愛し、自らの信念にひたむきに生きた、その姿はまさに、源流の地を守り抜く、戦う「水の守人」だったのだ。
遥か古の時代から続く鴨川の美しさは、そんな一人の「水の守人」によって、失われることなく未来へと繋げられていった。
そして、その想いは、息子さんである、現住職の田中量真住職へと受け継がれてゆくのである。
だがしかし、歩み始めた「水の守人」の前にもまた、新たな問題が現れようとしていた。
それは、源流の地を守る森に、音もなく静かに忍び寄る危機だった。
そして、その問題は、ある一つの大きな問いを投げかけるのだ。
それは源流の地を守る「水の守人」だけでなく、今を生きる私たち全員にも投げかけられている、大きな問いでもあったのだ。
(◼︎後編:「水と生命の響き」に続く)
- text / photo HAS / Hiroaki Watanabe
Reference :
-
「仏教の思想 9 - 生命の海」
- 著者:
- 梅原 猛
- 著者:
- 宮坂 宥勝
- 出版社:
- KADOKAWA
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「ダムと和尚」
- 著者:
- 田中 真澄
- 出版社:
- 北斗出版
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text / photo :HAS ディレクター / デザイナー。 神戸市出身 京都在住。
立命館大学産業社会学部在学中に、インディペンデントの音楽イベントの企画・運営に携わる。
卒業後は環境音楽の制作を開始。その後、独学でウェブ・グラフィックデザインを学び、2019年にHAS創業。
暮らしを灯す物語をテーマに、デザイン、言葉、写真、音楽を重ね合わせながら制作を行う。HAS : www.has-story.jp
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[ 序章 ]はじまりの水音
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[ 前編 ]せせらぎの記憶
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[ 後編 ]水と生命の響き