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朝早くから雨が降つてゐた
そして 暗い日暮れに風が吹いて流れ
雨にとけこむ日暮れを泥ぶかい沼の底の魚のやうに
私と私の妻がゐる 私は二階の書斎に 妻は台所にゐる
これは人のゐない街だ
一人の人もゐない、犬も通らない丁度ま夜中の街をそのままもつて来たやうな気味のわるい街です
街路樹も緑色ではなく
敷石も古るぼけて霧のやうなものにさへぎられてゐる
どことなく顔のやうな街です
風も雨も陽も
ひよつとすると空もない平らな腐れた花の匂ひのする街です
何時頃から人が居なくなつたのか
何故居なくなつたのか
少しもわからない街です
それは
「こんにちは」とも言はずに私の前を通つてゆく
私の旅びとである
そして
私の退屈を淋しがらせるのです
裕福な実家に生まれ、画家を目指して上京、モダニズム絵画「化粧」を発表し、日本のダダイスムの先駆をなす、大正デモクラシーの動向を受けて誕生した前衛美術グループ「MAVO:マヴォ」の初期メンバーとして注目を浴びた。
しかし、2年あまりで美術界を去り、詩作に専念、詩人に転身する。
生涯にわたってほぼ定職を持たず実家からの仕送りで生活し、詩に没頭するという無頼の人生を送った。
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夕影しづかに番の白鷺下り、
槇の葉枯れたる樹下の隠沼にて、
あこがれ歌ふよ。
『その昔、よろこび、そは朝明、光の揺籃に星と眠り、
悲しみ、汝こそとこしへ此処ここに朽ちて、
我が喰み啣める泥土と融とけ沈みぬ。』
愛の羽寄添ひ、青瞳うるむ見れば、
築地の草床、涙を我も垂れつ。
仰げば、夕空さびしき星めざめて、
しぬびの光よ、彩なき夢ゆめの如く、
ほそ糸ほのかに水底に鎖ひける。
哀歓かたみの輪廻は猶も堪へめ、
泥土に似る身ぞ。
ああさは我が隠沼、
かなしみ喰み去る鳥さへえこそ来めや。
啄木は雅号で、本名は石川 一(いしかわ はじめ)。
旧制盛岡中学校中退後、明治35(1902)年与謝野鉄幹の知遇を得て、『明星』に寄稿する浪漫主義詩人として頭角を現す。19歳の時に、処女作となる詩集『あこがれ』を刊行。
同時期に盛岡に帰郷し結婚するも、生活難のため母校の代用教員となる。
明治41(1908)年に上京、創作に没頭し小説を発表するが認められず、困窮の生活を送り、翌年に東京朝日新聞に就職。
明治43(1910)年に『一握の砂』を刊行、歌人としての地位を確立する。
また、同年に起きた幸徳事件(大逆事件)をきっかけに社会主義への関心を深め、文学評論も執筆したが、26歳の時に結核を患い帰らぬ人となる。
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アメリカ合衆国サンフランシスコ州ロサンゼルスを拠点に活動する、アンビエント作家 marine eyes(マリーン・アイズ)こと、シンシア・バーナードによる一曲。
「what’s on the inside」と名付けられたこの曲は、彼女のアルバム「chamomile カモミール」の中に収められています。
アルバム名の「chamomile カモミール」とは、ハーブティーとしても良く用いられる植物の名前から付けられたもの。
仕事の合間に自らの記憶を手繰り寄せるように日記を書きながら、カモミールティーを飲む時間は、心を自らの中心に戻す大切な時間だと語っています。
彼女にとって「chamomile カモミール」とは落ち着きの象徴であり、自らの心の中に平穏を取り戻す力となるもの。
このアルバムには、彼女がカモミールティーを飲みながら、これまで綴った日記のページをめくるように、彼女の目にした様々な美しい風景が詰まっています。
楽曲のタイトル「what’s on the inside」とは、「心の内側では何が起きているの?」という意味。
朧げで美しい光に包まれるようなこの曲は、聴く人を遥か遠い記憶の彼方に導いてくれるような気がします。
柔らかな光に包まれる静かな朝、静まり返った真夜中に、ふと穏やかな記憶の灯を届けてくれる美しい一曲です。
幽玄で美しいヴォーカルとフィールド・レコーディングやギター、シンセサイザーを重ね合わせながら、温かく穏やかなサウンドスケープを描き出している。
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この曲は、ウクライナ・キーウ出身の現代音楽・作曲家 Valentin Silvestrov (ヴァレンティン・シルヴェストロフ)によって紡がれました。
かつて彼は、前衛的な音楽作品を発表していたのですが、ある時期を境に、メロディを重んじた伝統的な作曲手法に回帰するようになりました。
「メロディとは音楽の宝石である。」
(ミュージック・レビュー・サイト『Mikiki』より引用)
これは、彼が過去に美しいメロディーへの想いを語った言葉。
前衛的な現代音楽から消えてしまった美しいメロディーを手繰り寄せるように紡がれた数々の作品の中には、過ぎ去りし日々への静かな祈りが流れているような気がします。
彼が音楽に目覚めたのは15歳と比較的遅く、当初は独学だったが、その後、キエフ夜間音楽学校でピアノを学ぶ。
ソ連支配下の60年代には、前衛的作品で西側から称賛を受けるも、ソ連当局からは冷遇され演奏機会に恵まれなかった。
70年代以降は、調性の破壊と言った前衛的な作曲手法から離れ、メロディーを重んじた伝統的な音楽と現代的な感覚を併せ持つ数々の作品を発表する。
同じく東欧にルーツを持つ、現代音楽を代表する二人の作曲家、アルフレッド・シュニトケとアルヴォ・ペルトをして「現代最高の作曲家のひとり」と称される音楽家である。
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心の嵐が今去つたところだ
熱い嵐の中で、つめたい心がこゞえて
獣になつて魂の野を
走りまはつてゐた。
火に烙かれながら、一つの氷が
曇り日の天に向つて叫んだ。
心の嵐が今去つたところだ。
疲れた氷の火が静かにとけて
秋の曇り日の天の下に
春のやうなひかりを感じる。
やつと見つけたお母さんの乳房に
泣きじやくりながら、かじりつく赤ん坊に
私のこゝろは似てゐると思ふ。
1924年3月東京帝国大学ドイツ文学科卒業、同年4月より法政大学予科ドイツ語専任教授となる。
戦前に渡欧し、スイスにロマン・ロランのもとを訪れ、大きな影響を受ける。
西欧の文学と芸術を深く愛し、ロマン・ロラン、ヘッセ、リルケ、ハイネ、ゲーテといった独仏文学の翻訳も数多く手掛けた。
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日が西に沈んでいく、
宵の明星が輝いている、
鳥は巣に戻って鳴きやみ、
私は自分の巣を探さなければならない。
花のような月は、
静かな光に包まれて、
天上高い四阿に座り、
夜にほほえみかけている。
さようなら、群れなす羊を楽しませていた
緑の野、しあわせな茂みよ。
小羊たちが草を食んでいた野山を
光の天使たちは静かに進む。
天使たちは目に見えぬかたちで
ひとつひとつの花と芽に
眠っているものの胸に
やすみなく祝福と歓びを注ぐ。
鳥たちを暖かくつつむ
無防備な巣をのぞき、
獣たちの住む洞穴をもれなく訪れる。
それらのものが傷つかぬように。
眠ることができなくて
泣いているものがあれば、
そのまぶたに眠りを注ぎこみ、
寝床のかたわらに座って見守る。
狼や虎が獲物をもとめて吠えるときには
憐れみのあまり立ち止まり泣く。
彼らの渇きをいやす道を探し求め
羊に手を出さないように導く。
しかし彼らが激しく猛り狂うときには
思慮深き者、天使たちは
従順な魂をひとつひとつ受け取り、
新しい世に送り出す。
そこでは、獅子たちの赤く燃える目も
黄金の涙を流す。
弱いものを憐れんで吠え、
羊たちの群のなかを歩きまわって言う。
怒りは彼のおだやかさによって
病は彼の健やかさによって
この不死の世界から
追い払われた
そして穏やかに鳴く羊よ、
これからはお前のかたわらに横たわり、
お前の名で呼ばれる方のことを思い、
お前を見守って泣く。
命の川で洗い清められた
私のたてがみは、
永遠に黄金のように光り輝く。
お前たちを守り続ける限り。
ブレイクは、ビジョンと呼ばれる幻視体験に基づいた特異な見解から同時代の人々からは狂人扱いされており、生前は詩人としては認められることはなく、一介の彫版師として生活した。
その後の批評家や読者からは、その表現力と創造性、そして作品内の哲学的・神秘主 義的な底流が高く評価されるようになり、ワーズ・ワース、コール・リッジらとともにイギリス・ロマン派の詩人の重要人物として知られている。
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若干18歳で『貧しき人々の群』で文壇に鮮烈にデビューし、天才少女と注目された。
女性の自立を追求した作品「伸子」を発表した後、1928年新しい発展をもとめてソ連、ヨーロッパで生活。
その後ソ連を訪れ日本共産党に入党。宮本顕治と結婚。再三検挙されながらも執筆活動を続けた。戦後は民主主義文学運動の出発を宣言。
日本の左翼文学・民主主義文学、さらには日本の近代女流文学を代表する作家の一人である。
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沖の汐風吹きあれて
白波いたくほゆるとき、
夕月波にしづむとき、
黒暗よもを襲ふとき、
空のあなたにわが舟を
導く星の光あり。
ながき我世の夢さめて
むくろの土に返るとき、
心のなやみ終るとき、
罪のほだしの解くるとき、
墓のあなたに我魂を
導びく神の御聲あり。
嘆き、わづらひ、くるしみの
海にいのちの舟うけて
夢にも泣くか塵の子よ、
浮世の波の仇騷ぎ
雨風いかにあらぶとも
忍べ、とこよの花にほふ
港入江の春告げて、
流るゝ川に言葉あり、
燃ゆる焔に思想あり、
空行く雲に啓示あり、
夜半の嵐に諫誡あり、
人の心に希望あり。
本名は、土井 林吉(つちい りんきち)。
裕福な商家に生まれ、幼少期より学問への強い興味を持っていたが、商人に学問は不要と祖父の強い反対を受け、当初は学問の道を諦め、家業を継ぐために働き始める。だが学問への想いは消えず、仕事の合間を縫い、独り学び続けた。
その熱意にほだされ、最終的に祖父も進学の道を認め、本格的に学問への道に進む。
その後、東京帝国大学英文科に進み、学業の傍らで様々な詩を発表する。
男性的な漢詩調の詩風で、女性的な詩風の島崎藤村と並んで「藤晩時代」と称された。
瀧廉太郎の作曲の「荒城の月」の作詞者としても知られ、校歌も数多く作詞した。
英文学者としは、ホメロス、カーライル、バイロンなどを翻訳。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。
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1917年第1詩集『月に吠える』を刊行し、詩壇における地位を確立。1925年上京し、東京に定住。
大正時代に近代詩の新しい地平を拓き「日本近代詩の父」と称される。
詩作のみならずアフォリズム、詩論、古典詩歌論、エッセイ、文明評論、小説など多方面で活躍し、詩人批評家の先駆者となった。
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月の光に照らし出された夜のひと時。 淡い月の光が描く、どこか神秘的な世界。 この音楽は、そんな美しい月の光に寄り添うような一曲です。
「Fairytales」と名付けられたアルバムに収録された一曲。 この曲は、わずか30歳の若さでこの世を去ったノルウェー出身のジャズ・シンガー Radoka Toneff ラドカ・トネフによって紡がれました。
柔らかな月の光が辺りを包み、幻想的な時間が流れ出すように、神秘的で穏やかな美しさを暮らしの中に届けてくれます。
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