[ 画家 ]
ウィーンの鬼才画家
エゴン・シーレ
Egon Shiele
エゴン・シーレ
オーストリア・ウィーンの鬼才画家
彼は、様々な時代の動乱に巻き込まれながらも世紀末のウィーンを自らの表現を貫いた。
幼少期から類稀なる才能を見せたのだが、その大き過ぎる才能ゆえに、常に世間の常識との軋轢に苦しんだ。
数々の称賛を受けながらも、様々な批判にさらされ続けた生涯であった。
影響を与えた人物
彼の表現に大きな影響を与えた二人の人物がいる。
一人は、画家のフィンセント・ファン・ゴッホ。もう一人は、画家のグスタフ・クリムトであった。
ゴッホは、世界的にも有名な作品「ひまわり」を描いたオランダ出身の画家。
彼の死没した同じ年に、シーレはこの世に生を受けた。
後年、ゴッホの作品と出会い、深く感銘を受けたシーレは、自分の誕生日と重ね合わせ「自分はゴッホの生まれ変わりではないか」と考えるほどであったという。
そして、クリムトは、色彩豊かな独自の女性像を描いたオーストリア出身の画家。
シーレは、18歳の時にウィーンで開催された展覧会でクリムトの作品に出会い、深い感銘を受ける。
後にクリムトがシーレの「僕には才能がありますか?」という質問に対し、「才能がある?それどころかありすぎる」と答えたエピソードは、二人の深い関係を物語るものだろう。
喪失と成功
シーレの生きた時代は、第一次世界大戦が繰り広げられた戦争の時代でもあった。
彼自身も招集を受け、その従軍の中で様々な不条理、喪失、悲しみを経験した。
そして、戦争から無事帰還し、自らの画業に専念するのだが、尊敬する画家・クリムトの突然の訃報が届く。
しかし、数ヶ月後に迫る展覧会を前に準備を重ねていたシーレは、悲嘆に暮れる間もなく、その準備に明け暮れたという。
そうして開催された展覧会は大きな成功を収め、シーレはついに一躍オーストリア芸術界の時代の寵児として広く知られることになる。
なんと彼の展示した作品のほとんどに注文が殺到し、将来の作品のウェイティングリストまで作られたという。
しかし、成功の矢先で、彼は突然その生涯に幕を下ろすことになる。
28歳という若さであった。
彼の描いた躍動的な作品と重なり合うように、彼自身もほとばしる才能と共に世紀末のオーストリアを駆け抜けるように生きたのだった。
- text / select HAS
Reference :
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「エゴン・シーレ 傷を負ったナルシス」
- 著者:
- ジャン=ルイ・ガイユマン
- 監修:
- 千足伸行
- 翻訳:
- 遠藤ゆかり
- 出版:
- 創元社
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「エゴン・シーレ ドローイング 水彩画集」
- 著者:
- ジェーン・カリアー
- 翻訳・編集:
- 和田京子
- 出版:
- 新潮社
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