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狂おしいほどの情熱で駆け抜けた ウィーンの画家 エゴン・シーレの物語を辿る2/3
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Moa

Moa , 1911

2芸術家への道を歩み始める

クリムトとの出会いと決意

それは、ウィーンの巨匠 グスタフ・クリムトとの出会いだった。
その年にウィーンで開催された総合芸術展「クンストシャウ」でクリムトの作品に出会い、衝撃を受けたシーレは、その後の1年間、多くの時間を割き、クリムトの作品の研究に費やしたという。
その翌年の1909年に開催される第2回国際「クンストシャウ」では、なんとクリムト直々に出展を依頼されたというのだから、その間のシーレの画家としての成長ぶりには驚くばかりである。

グスタフ・クリムトの代表作 『接吻』 The Kiss / Gustav Klimt , 1908

もちろんクリムトの影響だけでなく、ゴッホの絵画からの影響、人智学/アントロポゾフィー(科学的・神秘体験を通じて精神世界を研究するという学問であり、アントロポロゾフィーとは「人間の叡智」という意味である)の祖であるルドルフ・シュタイナーの著書を読み、感銘を受け抽象的な表現を目指すようになったこと、またこれは真偽は明らかではないが、シーレの友人の画家であるエルヴィン・オーゼンが友人と一緒に演じていた、一風変わった機械的な動きを伴うパントマイムがシーレ独自の躍動感のある身体表現にインスピレーションを与えたことなど、様々な経験が紡ぎ合わせれ、彼独自の表現が生まれていったことは見逃すことが出来ない。

Self-Portrait

Self-Portrait in Yellow Vest , 1914

しかし、展覧会への出展は同時に、シーレの在籍するアカデミーの「生徒は公の場で作品を発表してはならない」という校則に違反することになり、必然的に彼の今後の進路を大きく問われることになる。
既存のアカデミックな枠の中で表現を続けていくのか、退路を断ち、新しい表現を生み出す芸術家として歩んでいくのか、そのどちらを選ぶのかということを。
ちょうどその時、志を同じくするクラスの仲間とともに「新芸術集団」を結成する。その結成の志として、シーレはこう語っている。

「芸術は、つねに同じものだ。新しい芸術などというものは存在しない。新しい芸術家がいるだけだ。しかし、その数は非常に少ない。新しい芸術家は、必然的に自分自身であるべきだ。彼は創造者でなければばらず、いかなるものも介在させず、過去から引き継がれたものを用いず、まったく独力で基礎を築き上げなければならない。そういう人間だけが、新しい芸術家なのだ。ぼくらの誰もが、自分自身であることを望む」
(著者 ジャン=ルイ・ガイユマン 監修 千足伸行 翻訳 遠藤ゆかり 『エゴン・シーレ 傷を負ったナルシス』 創元社より )

そうした芸術へのほとばしる想いを胸に、シーレは退学を決意したのだった。

_Female Nude on Colourful Blanket

Female Nude on Colourful Blanket , 1911

華々しい幕開け、そして田舎暮らし

退学後、ついに19歳のシーレは本格的に芸術家として歩み始めることになる。
1909年末には、画商ピスコによって開催された展覧会で「新芸術集団」のリーダーとして、シーレの作品は大々的に展示され、それをきっかけにシーレのパトロンとなる幾人かの支持者と出会うことになった。
経済的安定には、まだまだほど遠かったものの、結果的には退学という決断が芸術家としてのじつに良いスタートになったのだった。
しかし、そこからの道のりは決して順風満帆という訳にはいかなかった。

Sleepinng Woman

Sleepinng Woman , 1911

亡くなった父の後見人である叔父ツィハツェックが甥であるシーレには仕事がないと早合点し、軍隊に入れようと猛烈に働きかけたことや「新芸術家集団」の旗手としての野心が結果的に、オーストリアの前衛芸術家たちとの諍いの火種となってしまい対立を招いたこと、その他に自身の私生活の問題など、様々なことが重なり合い、シーレはウィーンという街に対し、強い不満を抱くようになり、友人への手紙でこう綴っている。

「ここはなんて醜い場所なんだ、誰もが妬みと欺きに満ちている。ウィーンは闇で覆われてしまった。この町は真っ暗だ。」
(著者 ジェーン・カリアー 翻訳/編集 和田京子 『エゴン・シーレ ドローイング 水彩画集』 新潮社より )

Cardinal and Nun

Cardinal and Nun , 1913

そうした募る不満から逃れるように、シーレは創作の拠点をウィーンから田舎町のクルマウに移すことになる。
母の生まれ故郷であったクルマウには、以前から愛着を抱いており、栄枯盛衰の歴史を感じさせる古い街並みと今まさに衰えゆくその姿に美しい哀愁を感じ、愛情を込めて「死の町」と呼んでいたという。

だが、穏やかな日々はそう長くは続かない。
小さな町ではあまりに目立つ奇抜な格好に身を包み、不遜な物言いをしていたシーレに対し、町の人々が不信感を募らせるようになり、最終的には自身の庭先でヌードモデルを描いていたことが発覚し、保守的な町においてその事実は、大問題にまで発展してしまい、最終的にはクルマウを去ることに。
そして、一旦はウィーンに戻ったものの、それでも都会にはない穏やかな時間を求めて、別の小さな村であるノイレングバッハに引っ越すことを決める。
まさか、その村で自身の価値観を揺るがすような大きな事件に巻き込まれることをシーレ自身も知るはずもなく。

krumau

チェコ・南ボヘミア州の小さな都市 クルマウ(チェスキー・クルムロフ)
© photo by Lea Fabienne

 

名声、苦悩、早すぎる死

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text : STUDIO HAS
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狂おしいほどの情熱で駆け抜けた ウィーンの画家 エゴン・シーレの物語を辿る
2020.3.10
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