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光と影、人々の物語が織り成す 現役最古の官公庁舎 「京都府庁旧本館」を訪れて2/2
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2桜の木と共に変わりゆく人々の想い

西洋と東洋の美意識が融合する場所

そうした西洋的な建築技術を結集した建築物と対をなすように、庭園は、明治・大正期の最高の庭師とも言われ、近代日本庭園の先駆者とも称され、今なお続く、250年もの歴史を持つ、植木職人としての屋号「植治」を掲げる、七代目 小川治兵衛(1860 〜 1933)が手掛けている。

小川治兵衛は、水の流れを生かした自然な景観作りを得意とし、水と石の魔術師とも謳われ、名勝 無鄰菴を筆頭に、南禅寺界隈の財界人の作庭を手掛けた他、平安神宮神苑、円山公園、慶沢園(大阪・天王寺)など数々の名庭を手掛けたことで知られる庭師である。
そういったことを考慮すると、まさにこの場所は、西洋の建築と当代随一の庭師による庭園が融合した、西洋と東洋の美意識が融合した場所とも言うことが出来るのではないだろうか。

そして、そんな庭園の中庭に、一本の大きな桜の木が植えられている。
この桜の木は、円山公園を代表する桜の木、二代目祇園しだれ桜の実生木(種から育てられた木)であり、世界的な彫刻家イサム・ノグチとの協働で、世界各地で数々の庭園を手掛けたことでも知られ、京都で代々200年近くもの間、造園業を営む「植藤」の16代目 佐野藤右衛門が先代と共に植えたものである。

そんな今では、堂々とした佇まいで美しい花を咲かせているこの桜の木ではあるが、こうして成長を重ね、現在に至るまでの背景には、知られざる長い歴史が隠されていたのだった。

中庭に植えられた桜の木の物語

二代目祇園しだれ桜の実生木であるこの桜の木は、初代祇園しだれ桜の孫にあたる木だ。その初代は、なんと遡ること250年前、1747年に植えられたものである。
時は江戸時代 享保の改革を行なったことで知られる 第8代目将軍 徳川吉宗や日本地図を初めて作った伊能忠敬が生きた時代から、明治・大正・昭和と動乱の時代の中で、数多くの人々の心を美しい花で和ませた由緒ある桜の木である。
しかし、1947年に、初代しだれ桜は、長年の役目を終え、枯れてしまう。
そして、その後、2代目となる現在の桜が植えられるのだが、美しい花を咲かすまで、決して順調にはことは進まなかったという。

16代目 佐野藤右衛門の父である先代が、初代の桜の木から種を取ってきて植えたものの百ほど発芽した中で無事に残ったのは、たったの四本。
うち三本を円山公園に移し替えることになり、市の希望を受けて初代の桜の木が元あった場所に植えることになるのだが、桜は連作(同じ場所で同じ作物を繰り返し育てること)を嫌う植物のため、なんとトラックで二十台分ほどの土を入れ替えることに。
さらに当時はトラックが使えなかったために、牛車で土を運んだというから、その大変さは現在とは比にならないものだろう。
さらに苦労は続き、その三本のうち、一本は火事で焼け、一本は枯れてしまう。

しかし、そうした苦労にも関わらず、その二代目となる現在の祇園しだれ桜は、当初、初代の立派なイメージと比較され、あまり評判は良くなかったというのだ。
そのうえ、なかなか花を咲かせず、ようやく花を咲かせたのは五年後。
ようやく見られるようになるには、十年もの年月を要したという。
16代目 佐野藤右衛門は、その時のことを振り返ってこう語っている。

「親父は気にして気にしていました。どこへ出かけても必ず円山公園を通って、ようすを見に行っていましたから。今はみごとに咲いていますし、ようけ見に来てますやろ。でも親父の苦労を知る人は少ないでっしゃろ。」
(著者 : 佐野藤右衛門 聞き書き : 塩野米松 『桜のいのち庭のこころ』 ちくま文庫より )

中庭にあるしだれ桜、春には大勢の花見客で賑わう

そうした知られざる様々な苦労を乗り越えた桜の木の実生木として育てられたのが、この中庭にある桜の木なのだ。
初代の育んだ250年という歴史、そして数々の苦難を乗り越えながら、美しい花を咲かせた2代目の桜の木、そんな様々な歴史がこの中庭にある桜の木の中には流れている。
そして、そこにはまた、美しい花を咲かせるために懸命に支え続けた人々の物語が流れているのだ。

時の流れと共に変わりゆく関係性

春には、中庭で美しい桜が花開き、たくさんの人々が喜びの声を上げながら、春の穏やかな美しさを求めてこの場所に集まる。
はるか昔、威風堂々とした面持ちで、技術を誇り、多くの人々に仰ぎ見られていた往年の姿は、もうここに見つけることは出来ない。
その壮観な佇まいは今も昔も変わらないままだが、長い時の流れが建物と人々の関係を大きく変えてしまった。

生意気で無鉄砲であった青年が、様々な経験を経る中で、穏やかな老年を迎えるように、時のふるいは、 力強いこの建物をも穏やかに包み込んでしまったようだ。
時の流れにあがらうのではなく、身を任せることで生まれる美しさ。 古い物に出会う度に感じる美しさが、この場所にも確かにと息づいている。

そして、そうした美しさの背景に流れる、一人の建築家の熱い想いと数奇な運命、才気あふれる稀代の庭師による作庭、その庭に咲き誇る桜の木に隠された長い歴史と人々のひたむきな想い。
そんな様々な物語に触れた時、また違った魅力をこの場所に見つけることが出来るのではないだろうか。
もし何かの折に訪れる機会があるのでれば、そうした重なり合う様々な物語に、思い思いの在り方で、ぜひ耳を傾けて頂きたい。
時を経る中でしか見つけることの出来ない大切な美しさに耳を澄ましながら。

References
『松室重光と古社寺保存(日本建築学会計画系論文集 第613号)』
  • 著者清水重敦
  • 出版日本建築学会
『桜のいのち庭のこころ』
  • 著者佐野藤右衛門
  • 聞き書き塩野米松
  • 出版社ちくま文庫

「京都府庁旧本館」

住所
京都市上京区下立売通新町西入薮ノ内町
電話番号
075-414-5432
料金
無料
休館日
月曜日、第2・4土曜日、日曜日、祝日
url
www.pref.kyoto.jp/qhonkan/
購入・ストリーミング
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松室重光(建築家 )
1873年京都生まれ、1936年没。京都で誕生した初めての建築家。京都を中心に数多くの建築物を手掛け、ネオ・ルネサンス様式の名建築として知られる京都府庁舎旧本館や、京都ハリストス正教会聖堂などの設計を行なったことで知られている。古社寺保存にも積極的に関わり、浄瑠璃寺、平等院鳳凰堂、大徳寺唐門、清水寺本堂など今もなお広く知られる数々の寺院の保護に携わった。
七代目 小川治兵衛(庭師)
1860年 京都府長岡京市生まれ、1933年没。明治・大正を代表する庭師として知られる。明治10年(1877年)に宝暦年間より続く植木屋治兵衛である小川植治の養子になり、明治12年(1879年)に七代目小川治兵衛を襲名。水の流れを生かした自然な景観作りを得意とし、水と石の魔術師とも謳われ、名勝 無鄰菴を筆頭に、南禅寺界隈の財界人の作庭を手掛けた他、平安神宮神苑、円山公園、慶沢園(大阪・天王寺)など数々の名庭を手掛けた。
十六代目 佐野藤右衛門(造園家)
1928年京都市生まれ。天保3年(1832年)より続く、京都・嵯峨野にある造園業「植藤」の当主として、1981年、十六代を襲名。 父、十五代佐野藤右衛門のもとで庭師として研鑽を積み、彫刻家イサム・ノグチとフランスをはじめ国外でも活動を行う。 父の死後、祖父の代から続く、桜の保存活動を全国各地を渡り歩きながら行っている。
photo / text : STUDIO HAS
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光と影、人々の物語が織り成す 現役最古の官公庁舎 「京都府庁旧本館」を訪れて
2019.4.1
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