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2021.5.12

オーストリアの鬼才画家
エゴン・シーレ Egon Schiele

  • text STUDIO HAS


1890年6月12日、ドナウ川沿いにあるオーストリアの町トゥルン出身の画家・エゴン・シーレ。
エゴン・シーレは、当時ウィーンにおいて、保守的な美術界に抗いながら、強烈な個性で官能的な表現の中にある独自の美しさを追求し、ウィーン最大の画家とも称されるグスタフ・クリムト共に、オーストリア芸術界にその名を残している。

シーレの生まれ年である1890年は、世界的に有名な作品「ひまわり」を描いたオランダ出身の画家、フィンセント・ファン・ゴッホの死没した年。
後年、ゴッホの作品と出会い、深く感銘を受けたシーレは、自身の生まれた年と重ね合わせ「自分はゴッホの生まれ変わりではないか」と考えるほどに彼に強い影響を与えたという。
事実、幼い頃から絵を描き始めたシーレの才能は、少年時代から周囲の人々が認めるほどのものであった。

その後、若干16歳にして、当時オーストリアで難関とされたウィーン美術学校に最年少で入学を果たし、画家への道を歩み始める。
しかし、そうした才能と同時に、強過ぎる個性と純粋な表現への探究心を併せ持ったシーレは、その生涯の中で幾度もの世間との軋轢の中で苦しむことになる。
当時の一般的な美術教育の考え方・価値観との衝突から始まり、その後、自身の過激な表現への世間の無理解から投獄の憂き目に合い、さらには第一次世界大戦への出兵など、その生涯は波乱に満ちたものであった。

だが、様々な苦しい経験に決して屈することなく、一つ一つの経験を自らの糧とし、絵に昇華していくことで、持って生まれた才能を磨き続けた。
そして、そうした歩みが実り、1918年、第49回ウィーン分離派展に出展した作品が大きな注目を集める。

しかし、同年ヨーロッパを中心に流行したスペイン風邪によって、悲運にも若干28歳にしてこの世を去ることになる。
駆け抜けるように真っ直ぐに表現に生きたエゴン・シーレ。
どこかいびつで、時に異様さを伴うような、躍動的で美しい作品の数々は、愚直とも言えるほどの真っ直ぐなシーレの表現への想いを表しているのかもしれない。

[ 関連記事 ]
» 鬼才画家 エゴン・シーレの物語( 1 )
» 鬼才画家 エゴン・シーレの物語( 2 )

portrait of gerti schiele, 1909
sleeping girl, 1911
Sleepinng Woman, 1911
Two Girls lovers, 1911
The Daydreamer Gerti Schiele,1911

  • text STUDIO HAS


Reference :

  • エゴン・シーレ 傷を負ったナルシス
    著者:
    ジャン=ルイ・ガイユマン
    監修:
    千足伸行
    翻訳:
    遠藤ゆかり
    出版:
    創元社
  • エゴン・シーレ ドローイング 水彩画集
    著者:
    ジェーン・カリアー
    翻訳・編集:
    和田京子
    出版:
    新潮社
Category :
  • text
    STUDIO HAS


    STUDIO HAS(スタジオ・ハス)は、京都を拠点に、編集とデザインを通して、 暮らしの中にある物語を紡いでいくクリエイティブスタジオです。
    美しい物語と人を繋いでいくことを指針とし、HAS Magazine(ハス・マガジン)の運営の他、様々なデザインワークを手掛けている。

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